荻村伊智朗『スポーツが世界をつなぐ:いま卓球が元気』(岩波ジュニア新書 1993)を読む。
著者は卓球という一球技の組織や活動を通して、国や宗教といった壁を越えて交流することができるスポーツの可能性を述べる。私は卓球というと中国を中心としたアジアのスポーツという認識があったが、元々はフランスやイギリスの宮廷スポーツであり、100年ほど前からヨーロッパを中心に広まったものだそうだ。確かに卓球は肉体を限界まで酷使する競技から、温泉や老人ホームでの気楽な運動まで幅広い年齢層のものがそれぞれの能力に応じて楽しむことが出来るものだ。日本卓球協会でも「生涯学習」の一環として卓球を位置づけており、ライフステージのそれぞれの段階に応じた卓球のあり方を示そうと改革を進めている。得てして選手に手厚い競技団体が多い中、先見の明がある団体である。日本にも多くの体操や、球技、武道団体があるが、指導者を育て、子どもを育てることに力を入れている団体こそが長い目で見たときに息長く活動していけるはずである。
よくスポーツの概念がピラミッドで考えられていますが、日本卓球協会のばあいには、トップがオリンピック選手、その下に競技選手が続き、底辺があるというような上下関係の一つのピラミッドで考えるのはやめようということで成功しています。二つの山、つまり阿蘇山のような生涯スポーツの山と、槍ヶ岳のような競技スポーツの山がある。二つはパートナー関係で、上下関係ではないと見なしています。一つの山から、もう一つの山へ移るばあいもあるし、どちらもそれぞれりっぱな存在意義があるのだ、そういう考え方に変えようとしています。