日別アーカイブ: 2004年8月31日

「ブラインドとしてのオリンピック」

本日の東京新聞夕刊の星野智幸氏の「ブラインドとしてのオリンピック」と題したコラムが興味深かった。
今月に入ってからアテネ五輪の報道がテレビ新聞を賑わせており、「ニッポン」が連呼され、金メダルラッシュによって君が代が何度も流れた。「左翼」的な文脈に乗るならば、「健全」なスポーツを隠れ蓑にして天皇制ナショナリズムが強化されたと書くところだろう。しかし、筆者はそうした安易な議論に異議を差し挟む。なぜなら、本当にナショナリズムが高揚しているのだったら、大会期間中に起きた沖縄米軍ヘリ墜落事故に対して強烈な反米感情が沸騰しているはずであり、政治的なナショナリズムとスポーツにおける愛国感情とは一体のものではないという証明になっていると述べる。

オリンピックはナショナリズムを煽り立てはしない、と私は思う。ただひたすら、見る者を高級な非日常に「日本」という名前を与え、感動の物語に変える。現実の構造とは切り離された、気分の上だけの淡い愛国感情と一体感が、現実を見ないことを正当化する。むしろ、今の日本はナショナリズムに対して免疫がないと思う。五輪で目を逸らしているうちに無意識に蓄積された鬱屈が、いざ現実を直視させられたとき、非常に安直な形のナショナリズムとして爆発することを私は恐れている。