読書」カテゴリーアーカイブ

『となり町戦争』

第17回小説すばる新人賞受賞作、三崎亜記『となり町戦争』(集英社 2005)を読む。

隣り合わせに位置する二つの町が行政施策の一環として戦争を始めるという奇妙な設定の物語である。町役場のカウンターの一角に「総務課となり町戦争係」が設置され、限られた予算や時間、住民の生活を乱さない範囲で戦争が遂行される。そのため、戦争がいつ始まったのか、どこで行われているのか、いつ終わったのか、戦時特別偵察業務従事者に選ばれ戦争に加担している主人公にも皆目検討がつかない。

最後まで物語の世界観は杳として分からない。しかしこの戦争への実感のなさが、現在の戦争の側面を見事に顕している。戦争の外注といったあたりは、数年前に観た押井守監督の『スカイ・クロラ』を彷彿させる。

『哀しい予感』

吉本ばなな『哀しい予感』(角川書店 1988)を読む。

先月引っ越しをしてから、バタバタな日が続いていた。この2日間は家族で過ごすことができ、少しだけ気晴らしができた。
手に取ったこの本も、日常生活から離脱し、おば(実の姉)の行方を捜しながら、おばの家、軽井沢の別荘、青森の恐山と舞台が移り変わっていく小説である。
十年前にも読んだような気もするが、私自身が日常の些事から「あくがる」ことができた。

『徒然草』

ビギナーズ・クラシックス『徒然草』(角川文庫 2002)を読む。
鎌倉初期の鴨長明の著した『方丈記』は、人間の悲喜交々生きざまを大局的に見る「無常観」の大テーマに沿って最後まで一貫して論が展開される。そのため、真面目すぎて「あそび」が無いように感じる作品となっている。一方、『徒然草』の方は、サラリーマン向けの教養書といった趣で、今で言う「日刊ゲンダイ」のように、中年男性が直面するようなマナーや女性問題、仕事上の心構えなどが説かれる。
『徒然草』など学生時代に読んだときは、うんともすんとも面白いと思わなかったが、40近くなってきて読むと、心に響くような警句が多かった。

『中国詩人伝』

陳舜臣『中国詩人伝』(講談社文庫 1995)を読む。
授業で唐詩を扱うので、手に取ってみた。紀元前4世紀の屈原から20世紀の魯迅まで、2000年以上に亘る20数名の詩人とその代表作が紹介されている。白居易や王維は言うまでもなく、「七歩詩」で知られる曹植や、「春宵一刻値千金」で知られる蘇軾などの来歴について知ることができた。また、日本では意図的に、詩と政治の関わりが避けられてきたが、中国では王安石の新法施行以前まで科挙に詩作が課せられていたこともあり、政府や政治への皮肉が込められた詩も数多く生み出されている。魯迅も50ほどの旧体詩を作っており、上海事変を嘆く詩なども作っている。

また、陳舜臣氏ならではの視点も紹介されている。有名な項羽の抜山蓋世の歌であるが、陳舜臣氏は、その歌に、自らが招いた敗戦の責任を時勢のせいにしたり、自らが酷使してきた名馬の騅が歩みを止めたのを騅のせいにする項羽という人物の性格が表れていると指摘する。一方で、劉邦の「大風起こりて雲飛揚す 威は海内に加わりて、故郷に帰る 安くにか猛士を得て四方を守らん」という歌を引いて、そこに、優れた兵士を集め、この国を守らせたいという劉邦の部下に対する信頼感があると述べる。確かにこの2つの詩を並べてみると、なるほどなと思う。授業の雑談として活用してみたい。

『解剖学個人授業』

養老孟司/南伸坊『解剖学個人授業』(新潮社 1998)を読む。

雑誌『SINRA』に連載された文章で、予め養老教授から解剖学についての個人授業を受けた南伸坊氏が、素人的な視点から授業のまとめノートレポートを提出し、養老教授が講評を付すという形をとっている。南伸坊氏の素人はだしな文章に驚いてしまうのだが、誌上外で行われたらしい個人授業の様子が伝わってこないので、「上巻」を飛ばして「下巻」だけ読んでいるような気持ちになってしまい、半分ほどで本を閉じてしまった。