野村克也『野村イズムは永遠なり』(小学館文庫 2011)を読む。
東北楽天ゴールデンイーグルスを率いて4年目の2009年6月に刊行された単行本の文庫化である。昨日読んだ『エースの品格』と話が半分かぶっていたので、さーっと読み進めた。
球界暴露話ではないが、野村監督の基準に叶った落合博満氏や若松勉氏に対する賛辞は尽きないが、そうではない古田敦也氏や外国人監督に対する批判は手厳しい。また、王貞治氏についてはそうした賛否を越えた高踏的な人物として評しているのが面白かった。
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『エースの品格』
野村克也『エースの品格:一流と二流の違いとは』(小学館文庫 2010)を読む。
「指導者論」レポート作成のために読む。気になったところを引用してみたい。
私が標榜する野球は「プロセス野球」である。結果よりも過程に重きをおく、という意味だ。結果を軽んじているわけではない。逆に、結果がほしければほしいほど、そこにいたるまでの内容を一義的に考えなくてはならない、と言いたいのだ。
「人間的成長なくして技術的進歩はない」
私がよく持ち出すこのフレーズもまた、プロセス野球の一環である。天性の才能だけを頼りにしてプレーしていると、いつか必ず行き詰まる。そのとき、「感じる力」「考える力」を養っていなければ、その闇の中から必ず抜け出す術は見つからない。
すなわち、個々の過程を大事にし、小事細事に気がつく人間のほうが、終わってみればチームに勝利をもたらし、自分の好成績を残していく。やがては「チームの鑑」となって組織に好影響を与え、他の選手の目標となって新たな「鑑」を再生産していくのである。技術的な成果は、人間性を磨くことで初めて手に入るのだ。
プロセスをかたちづくる中心には、「思考」がある。それは、人間という生き物にしか備わっていない崇高な能力である。
思考が行動を生み、習慣となり、やがて人格を形成し、運命をもたらし、そして人生をつくりあげていく。
ようするに、思考即ち考え方は人として生きていくうえでの起点となる概念であり、教育し、経験を積ませることでその重要性に気づかせることが「育成」の基本である。
また、「指導者論」からは外れるが、次のようにも述べる。
キレのいいボールを投げるためには、どうすればよいのか。
近頃では、「腕を振れ」というアドバイスが蔓延しているようだが、これはいったいどうしたことか。多くの投手が「今日はよく腕が振れました」などと試合後に語っていたりもする。なぜ腕に意識がいくのか、私にはとうてい理解できない。
コントロール=キレは、体のバランスが生命線である。ならば、上下半身、左右半身のバランスをとるために、まずはその中心である「腰」を意識するべきではないか。
人間誰しも、下半身に比べて上半身を優先的に使いこなしているはずだ。無意識に体を使えば強い部分が勝り、弱い部分がなんとかそれについていこうとするのは当然だ。腕などは放っておいても器用に反応できる部位であり、意識させる必要などない。腕を中心とした投げ方をすれば、腕は振れる。腰が安定していれば、いいピッチングができるのである。そういう観点から見ると、五十余年のプロ野球人生のなかで、稲尾こそ私がこの目で見た最もバランスのとれたピッチャーだった。その下半身をつくりあげるために、どれほどの努力、鍛錬があったかは想像を絶する。一説によれば、少年時代に小舟の上で櫓を漕ぎながら、バランス感覚が自然と養われたとも伝えられている。いずれにせよ、球史に残る偉業は「腰の安定」がもたらしたのである。
『結婚案内ミステリー』
地上波で放映された、渡辺典子・渡辺謙主演『結婚案内ミステリー』(1985 東映)を観る。
赤川次郎原作ということもあり、始まりが「ハイカラ(古いか)」な感じだったので、ポップな感じの映画かと思い見始めた。
しかし、渡辺典子さんの笑顔輝くシーンは僅かで、途中から雪深い別荘の隠された部屋で暮らす息子の存在が明らかになるなど、横溝正史ばりの昭和のドロドロした人間関係ドラマといった色が濃くなる。アイドル映画なのかミステリー映画なのかよく分からず、中途半端に終わっている。
準主役の渡辺謙さんの若さに目が釘付けであった。先日、『許されざる者』という時代劇の映画で老けた武士役を演じていたのを観たので、そのギャップに驚きであった。
「指導者は人間教育ができなければいけない」
「Joint-Success」第30号(JSコーポレーション 2013年10月)に掲載されていた長崎総合科学大学教授小嶺忠敏氏へインタビュー記事を読む。
指導者論についてのコメントを引用してみたい。
小嶺氏は指導者としてあるべき信念について次のように語る。
指導者と生徒・選手は競争関係にあると考えています。教えるとか教わるということより、指導者が率先して示していくことが大事だと思います。人としての礼儀はもちろん、決められたルールは守る、遅刻はしないなど、指導者が基本的なことを示してやること。これが原点です。
また生徒・選手との競争関係の中で、具体的な指導法について次のように語る。
選手にあわせて、各々指導方法があるんです。彼らはみんな性格も能力も違いますから、選手の数だけ指導法があるのではないでしょうか。指導者の役割は、一人ひとりの性格や能力を分析し見極めていくことです。長所があれば伸ばしてやる、短所があれば修正するよう一緒に努力する。そうすることで、彼らは自信を持てるようになって、ドリブルの上手い選手、足の速い選手、パワーのある選手といったように、それぞれ特性を活かした選手が育つわけです。その集合体がチームです。
さらに、小嶺氏は生徒・選手たちの接し方について次のように語る。
まずは自分がグラウンドに出ることです。一緒に練習して、同じ長い時間を共に過ごす。すると「こいつには、こんな持ち味があったのか」と、その個性に気づく局面があります。ならば、この個性を伸ばすためのトレーニングを考えてみよう、となります。また、寮で一緒に生活すると、練習では見えていなかった性格がよくわかります。同じ時間を過ごし、話したり観察することが大事です。プレーを一瞬見ただけで、その選手を理解できる指導者は天才ですよ(笑)。時間をかけて彼らを知る努力をするのが私のやり方です。
また、もう一つ大事な点とである「3つの目線」を使い分けについて、次のように述べる。
1つは上から目線でビシッと厳しく、グラウンドでチームの約束事を教え込む目線。2つ目は対等な目線。技術を憶えさせて自由自在に動けるように育てる目線です。3つ目は選手が悩んだり迷ったときに寄り添って話を聞いて励ましてやれる下からの目線です。指導者はこの3つの目線を上手に使いこなさなければいけません。指導する側もいろんな努力をしなければ選手たちに思いは伝わりません。努力する情熱を持った指導者は、すごく魅力的です。その魅力がなければ、選手たちはついてきませんよ。
また、指導者の役割として次のように述べる。
サッカーだけが上手くても駄目です。選手一人ひとりの人間性も、強いチームには不可欠です。特に高校時代は人間としての基礎を磨く時期。だからこそ人間教育が大切なんです。その基本が「挨拶」、「返事」、「後始末」。普段の練習や遠征先、試合においても基本ができなければ、良いチーム、強いチームには育ちません。スポーツの指導者は、人間教育ができなければ二流だと思います。我々指導者が守るべきことは、彼らを使い捨てにしてはいけないということです。卒業後の進路、就職でも進学でも、将来をちゃんと見据えて指導してあげないといけません。一生懸命やってきた生徒・選手たちをちゃんと出口まで指導してあげるべきです。ですから、私も社会人や大学チームへ選手を紹介する努力は惜しみません。責任を持って彼らを次の世界へ送り出すのは我々指導者の務めではないでしょうか。
『国見発 サッカーで「人」を育てる』
小嶺忠敏(長崎総合科学大学情報学部経営情報学科教授・長崎総合科学大学および同附属高等学校サッカー部総監督)『国見発 サッカーで「人」を育てる』(NHK出版 2004)を読む。
武専のレポート「指導者論」を書くに当たっての参考文献として手に取ってみた。
執筆当時、長崎県立国見高校校長職にあった小嶺氏が、指導者のあり方や、高校サッカーを闘うためのチーム作りの妙や高校教師としての教育観を語る。印象に残った点を引用してみたい。
指導者というのは、赤ん坊が自然に生まれてくるときに立ち会う”助産婦”のようなもの。つまり、指導者の役割は選手が悩んでいるときに、「こんなこともあるよ。こんなふうに考えられるよ」と、ヒントを出すことです。それがきっかけとなり、選手が自分で考えて、自分の力で大きく伸びていく。それが人を育てることだと思います。
サッカー部に入ると、ほとんどの選手はレギュラーポジションを目標にします。しかし、サッカー部で3年間を過ごす真の目的は、「人生の勝利者になること」です。私はよく、生徒に言っています。
「レギュラーになった、ならないというのは、高校時代の3年間のこと。人生90年のたった3年間です。私たちは、タケノコと一緒のようなもの。太陽の光と土の養分を吸収して伸びていき、冬の寒いときは根を長くしていく。高校時代にレギュラーになった人はここで花が咲いたわけだが、残りの人生でも花を咲かせなくてはいけない。
たとえレギュラーになれなくても、高校で3年間、サッカー部で練習してきた結果、すばらしい人生を歩むための根を手に入れることができるのです。養分をたくさん蓄えた根を持って磨いていけば、高校を卒業後にかならず枝が出て、大輪の花を咲かせることができます。高校の部活動でレギュラーにならなかったけれど、卒業してから立派な花を咲かせた人はたくさんいます。
(中略)
3年間、苦しい思いをして練習してきたことは、確実に心と体を鍛えている。絶対、無駄にはなりません。大切なことを目標に挑戦すること。どんなに弱いチームでも、1試合で必ず3回はチャンスがある。人生にも3回はチャンスがあるから、自分を磨き続けることです。その時に準備ができていれば、大輪の花が咲きます」
朝礼でも、入学式でも、講演会でも、私はよくこの話をしています。
サッカーにおいての「いい指導者」は、技術、戦術、体力、精神力を教えることができる人です。でも、全国の頂点に立つには、これらにプラスアルファの力がないとできません。私が見てきたなかで、「すごい指導者」は人間性を育成できる力を持っています。
高校時代は、人間の基礎を磨く時期です。知育、体育、徳育のことですが、特に徳育、言い換えれば、人間教育が大切になります。
基本は「挨拶」「返事」「後始末」がきちんとできることです。たとえば剣道や柔道にはそれが組み込まれていますが、ややもすると、いまの日本では失われつつあることです。たとえば、グラウンドにサッカー部の練習を見に来る人がいれば椅子を持っていく。体育館だったらお客様にスリッパを出す。挨拶するときには立ち止まってお辞儀する。どれも、家庭でしつけているような基本的なことです。
(中略)
私の経験上、人間教育のできているチームは、「ここぞ」という競り合いに強い。サッカーだけ教えていても、人間教育のできていない指導者は二流だと思います。
また、指導者は自分を律するところが必要です。

