小嶺忠敏(長崎総合科学大学情報学部経営情報学科教授・長崎総合科学大学および同附属高等学校サッカー部総監督)『国見発 サッカーで「人」を育てる』(NHK出版 2004)を読む。
武専のレポート「指導者論」を書くに当たっての参考文献として手に取ってみた。
執筆当時、長崎県立国見高校校長職にあった小嶺氏が、指導者のあり方や、高校サッカーを闘うためのチーム作りの妙や高校教師としての教育観を語る。印象に残った点を引用してみたい。
指導者というのは、赤ん坊が自然に生まれてくるときに立ち会う”助産婦”のようなもの。つまり、指導者の役割は選手が悩んでいるときに、「こんなこともあるよ。こんなふうに考えられるよ」と、ヒントを出すことです。それがきっかけとなり、選手が自分で考えて、自分の力で大きく伸びていく。それが人を育てることだと思います。
サッカー部に入ると、ほとんどの選手はレギュラーポジションを目標にします。しかし、サッカー部で3年間を過ごす真の目的は、「人生の勝利者になること」です。私はよく、生徒に言っています。
「レギュラーになった、ならないというのは、高校時代の3年間のこと。人生90年のたった3年間です。私たちは、タケノコと一緒のようなもの。太陽の光と土の養分を吸収して伸びていき、冬の寒いときは根を長くしていく。高校時代にレギュラーになった人はここで花が咲いたわけだが、残りの人生でも花を咲かせなくてはいけない。
たとえレギュラーになれなくても、高校で3年間、サッカー部で練習してきた結果、すばらしい人生を歩むための根を手に入れることができるのです。養分をたくさん蓄えた根を持って磨いていけば、高校を卒業後にかならず枝が出て、大輪の花を咲かせることができます。高校の部活動でレギュラーにならなかったけれど、卒業してから立派な花を咲かせた人はたくさんいます。
(中略)
3年間、苦しい思いをして練習してきたことは、確実に心と体を鍛えている。絶対、無駄にはなりません。大切なことを目標に挑戦すること。どんなに弱いチームでも、1試合で必ず3回はチャンスがある。人生にも3回はチャンスがあるから、自分を磨き続けることです。その時に準備ができていれば、大輪の花が咲きます」
朝礼でも、入学式でも、講演会でも、私はよくこの話をしています。
サッカーにおいての「いい指導者」は、技術、戦術、体力、精神力を教えることができる人です。でも、全国の頂点に立つには、これらにプラスアルファの力がないとできません。私が見てきたなかで、「すごい指導者」は人間性を育成できる力を持っています。
高校時代は、人間の基礎を磨く時期です。知育、体育、徳育のことですが、特に徳育、言い換えれば、人間教育が大切になります。
基本は「挨拶」「返事」「後始末」がきちんとできることです。たとえば剣道や柔道にはそれが組み込まれていますが、ややもすると、いまの日本では失われつつあることです。たとえば、グラウンドにサッカー部の練習を見に来る人がいれば椅子を持っていく。体育館だったらお客様にスリッパを出す。挨拶するときには立ち止まってお辞儀する。どれも、家庭でしつけているような基本的なことです。
(中略)
私の経験上、人間教育のできているチームは、「ここぞ」という競り合いに強い。サッカーだけ教えていても、人間教育のできていない指導者は二流だと思います。
また、指導者は自分を律するところが必要です。