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『デッドライン仕事術』

吉越浩一郎『デッドライン仕事術:すべての仕事に「締切日」を入れよ』(祥伝社新書 2007)を読む。
トリンプ・インターナショナル・ジャパンの代表取締役に就任してから、19年連続増収・増益に導き、現在経営コンサルティング分野で活躍する著者が、得てして長時間をかけることが仕事だと勘違いしている日本に仕事文化そのものに対して異議を唱える。

本書の中で、仕事を効率的にかつ大胆に仕事を進め、ワークライフバランスをはかる職務上のノウハウを指南する。就業時間だけでなく一つひとつの仕事にデッドラインを儲け、日常業務だけでなく様々なプロジェクトも可視化し、具体化させていくことで、効率化を図るというものだ。また、リーダーは常に現場の中で情報を共有し、部下の意見を「選択」することで判断を早くしていくことが求められると述べる。

「仕事」の対極は「休み」ではなく、「遊び」だという著者の仕事観が印象に残った。また、効率的に情報を共有し、判断を早くしていくことで、熱意ある部下に仕事を任せ、

人事部や経理部などの仕事は部署全体の目標が数値化されないので、何をいつまでにやるのかが曖昧になりやすい。たとえば「今月は社内の整理整頓を心掛けよう」という目標を掲げても、それだけでは何にデッドラインをつけていいのかわからない。では社員に、「何月何日までに整理整頓を終えてください」と申し渡しても、そんなものは何も指示していないのと同じだ。
しかし、それでも作業を具体化させることはできる。「整理整頓」というだけでは抽象的な概念にすぎないが、それが何を意味しているのかを一つひとつ検討すれば、必要な仕事が明確になるだろう。
各自のデスクの上、資料の書類、廊下に放置されたダンボール箱など、整理整頓すべきポイントをどの程度まで片付ければいいのかを考えれば、それぞれの作業にデッドラインを設定することができる。
そうやって具体的な形にブレイクダウンしないと、抽象的な目標は単なる掛け声だけに終わってしまう。たとえば事故を起こした鉄道会社や遊園地などは、「安全第一」という目標が具体化されていなかった可能性が高い。
ジェットコースターの故障で死者を出してしまった会社も、おそらくは日頃から「安全第一」と言っていただろう。しかし、その目標を達成するために「何を、誰が、いつまでにやるか」ということが可視化されていなかったのではないだろうか。

『対岸の彼女』

第132回直木三十五賞受賞作、角田光代『対岸の彼女』(文藝春秋 2004)を読む。
対人関係に不安を持つ主人公の葵や小夜子たちが、仕事や保育園ママとの付き合いを通して、悩みながら社会や自分と折り合いを付けていく。
男性と比べ、女性は結婚しているか否か、子どもがいるか否か、働いているか否かで、大きく価値観や社会的ステータスが変わってくる。学生時代は同じ価値観や感覚を共有していても、結婚や出産、仕事でバラバラになっていく女性を取り巻く人間関係がテーマとなっている。

男性の自分が読んでも、グループやカテゴライズから外れて、一人の女性が生きていくことの難しさを感じた。途中から読むのを止められなくなった。
旅行会社を立ち上げた主人公の葵が小夜子に語るセリフが印象に残った。

旅行ってさ、 to see と to do って二種類あるわけね、周遊して遺跡や博物館なんかを見るものと、お祭りなんかに参加するものと。だけど大前提に to meet ってのがないと話になんないよね。異国って「ここ」とは違うじゃない。人はみなわかりあえるとか、人間なんだから同じはずとか、そういうのは嘘っぱちで、みんな違う。みんな違うってことに気づかないと、出会えない。マニュアルってのは、あれしなさいとか、これが常識だって説明するだけで、違うって感覚的にわかることを邪魔するんだと思うんだ

『人妻再生委員会』

牧村僚『人妻再生委員会』(廣済堂文庫 2007)を読む。
ズバリ男性向けの官能小説である。主人公の青年が高校の卒業式直後に性の手解きを受け、上京後みるみるうちに性体験を開花させていく。夏目漱石の『三四郎』の官能小説版といった内容である。カッコいい言い方をすれば、性のビルドゥングスロマンといってよいだろうか。

ウィキペディアによると、作者は「ふともも作家」の異名をとっており、本書でも随所に女性のふとももへの露わな欲望のシーンが登場する。

『目で見る仏像・大日/明王』

田中義恭・星山晋也編著『目で見る仏像・大日/明王』(東京美術 1986)を読む。
大日如来とは、毘盧舎那仏とも称され、密教において全ての仏の中心と考えられている。密教という言葉だけを聞くと、ダークな反主流派というイメージが強い。しかし、平安時代の空海(弘法大師)がもたらした真言宗(東密)や、最澄(伝教大師)を祖とする天台宗(台密)などが広く知られている。

仏教は元来、秘密の儀式、平易に言えば家事祈祷の類を極力否定し、個々の人々がそれぞれの苦悩を克服することが意図されていた。しかし、インドでは祈祷や呪いが古くから盛んで、仏教はそうしたインド的な要素も取り込みながら発展してきた。日本の仏教は宗派を問わず密教的要素を含むことが大きな特色となっている。

そして、大日如来の表現の一つが明王であり、不動明王や孔雀明王、愛染明王、金色夜叉明王などは日本でも広く信仰されている。関東では特に不動信仰が盛んで、なかでも成田山新勝寺の成田不動が著名で、江戸時代には成田詣は往復3日のレクリエーションともなっていた。その他にも、日野の高幡不動、相模の大山寺が知られ、江戸の護りとして造立された竜泉寺の目黒不動、新長谷寺の目白不動、小松川最勝寺の目黄不動、駒込南谷寺の目赤不動、世田谷教学院の目青不動が有名である。

また、平安時代の不動明王の写しを載せる『不動明王図鑑』には、宇治拾遺物語の「絵仏師良秀」で知られる、良秀の「よじり不動」と称された絵も掲載されている。

それにしても、五大明王の一つである5眼の金剛夜叉明王はエヴァンゲリオン2号機にそっくりである。

『目で見る仏像・観音菩薩』

田中義恭・星山晋也編著『目で見る仏像・如来』(東京美術 1986)を読む。
観音菩薩とは、頭上に髪を束ねた髻のようなものがあり、宝冠には如来の化身である「化仏」という仏のミニチュアが付されているのが特徴である。

インド在来の神が仏教に取り入れられて形成されたのが観音菩薩と考えられ、女性的な雰囲気を漂わせている。観音菩薩の性格は現生利益的であることから、日本で最も親しみ深い菩薩として知られる。

観音菩薩の原型は聖観音という如来像に近いシンプルなものだが、そこから派生した観音像の方が人気が高い。11の顔を持った十一面観音、千の手を持った千手観音、第三の目を持った不空羂索観音などである。

千手観音の「千」は大変多いという意味だと思っていたが、本当に多くの手を持った像があるとのこと。集合体恐怖症の私からすれば、ちょっと受け付けない。