内田康夫『萩殺人事件』(光文社文庫 2015)を読む。
2012年に刊行された本の文庫化で、山口を舞台にした連続殺人事件を名探偵浅見光彦と友人の松田将明の2人が追う。丁寧に取材を重ねたようで、タイトルにもなっている萩だけでなく、宇部や美祢、長門、防府などの山口県内の都市の雰囲気がよく伝わってきた。最後の謎解きはあまりに凝りすぎていて、逆につまらなかった。
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『誰も書かなかった 世界史「その後」の謎』
雑学総研『誰も書かなかった 世界史「その後」の謎』(中経の文庫 2014)を読む。
教材研究の一環としてだったので、味わうことはなく、ただ参考になるところを探すだけでページを繰っていった。使えそうなところを引用しておきたい。
アイザック・ニュートンといえば、イギリス出身の物理学者、数学者、天文学者として有名だが、彼が光のスペクトル、万有引力の法則、微積分法といういわゆる「三大発明」をしたというのはまだ23歳のとき、1665年のことである。
活版印刷術を発明し、15世紀半ばの西欧文化に革命をもたらしたヨハネス・グーテンベルク。金属活字は14世紀の朝鮮ですでに用いられていたが、彼の発明が画期的だったのは、規格が決められた容易に交換可能な金属活字をつくったこと、印刷用のインクをつくったこと、油絞り機などにヒントをえてプレスを用いたことにある。
1271年、父・ニコロと叔父・マッフェオとともに中国へ出発し、24年ののち無事に故郷・ヴェネツィアへ帰還した商人・旅行家のマルコ・ポーロ。マルコが中国へ向かったのは17歳のときで、陸路を伝い、4年後の1275年に中国へ到達。フビライ・ハン率いる元朝に仕え、雲南や揚州で徴税に関する仕事に就いたのち、1295年に3人でヴェネツィアに戻ることができたのだった。マルコはこのとき、41歳になっていた。
「聖書の次に世界で刊行されている」と称される『ドン・キホーテ』の作者セルバンテス。同作の第1部の初版が刊行されたのは1605年1月のこと。毎日図書館で騎士物語を読みふけっていた下級貴族が現実と虚構との区別がつかなくなり、ついには自らを「ドン・キホーテ」と名乗ってやせ馬・ロシナンテにまたがり冒険の旅に出る、という物語である。
新大陸の征服者(コンキスタドール)の代表的人物といえるのが、わずか数か月でアステカ帝国を征服したエルナン・コルテスである。(中略)コルテスにとって幸運だったのは、アステカ族が使用していた暦により、「西からケツァルコアトル神が帰還する」とされていたことである。その年がまさに1519年だったのだ。この情報を聞きつけたコルテスは、それまでに収奪した宝石で自身を飾り立て、銃を鳴らすことでアステカ族を威嚇し、まんまとアステカ帝国の首都・テノチティトランへ入ることができたのである。
『過剰な二人』
林真理子×見城徹『過剰な二人』(講談社 2015)を読む。
幻冬舎の創業者で、かつて角川書店で辣腕編集者として名をなした見城氏と、直木賞作家の話真理子さんの往復書簡集となっている。幻冬舎代表の本を他社の講談社から出ているのは、色々と大人の事情があるのだろう。
林真理子さんは次のように述べる。
私が小説を書くのは、少女の頃に培った妄想力があるからです。もし私が、現実で満たされていたら、おそらく作家になっていなかったと思います。でも、妄想力は作家に限らず、あらゆる仕事に必要ではないでしょうか。妄想力は現実に対する不満によって育まれます。それがあるからこそ、現状を変え、自己実現ができるのだと思います。
また、見城氏は次のように述べる。
今考えれば、僕のやったこと(営業や印刷、経理のことなど何も分からないまま、幻冬舎を立ち上げたこと)は、暗闇の中で100メートル先にある針の穴に糸を通すようなことである。これは自慢ではなく、素直に思うことだ。もう一度同じことをやれと言われても、絶対に無理である。それぐらい圧倒的努力をした。
「無知であること」は大事なことだ。それは業界の常識にとらわれないことである。だからこそ、不可能を可能にするのだ。
何か新しいことを始めようとする時、研究するばかりが能ではない。無知は、それ自体素晴らしい力になるのだ。
『晴天の霹靂』
劇団ひとり『晴天の霹靂』(幻冬舎 2010)を読む。
特に感想なし。
『ホテルローヤル』
第149回直木賞受賞作、桜木紫乃『ホテルローヤル』(集英社 2013)を読む。
釧路の片田舎にあるホテルローヤルを巡る群像劇である。何が面白いという訳ではないが、夜の性愛を覆い隠そうとしても隠しきれない昼の日常生活の脆さを描き出す。
