『誰も書かなかった 世界史「その後」の謎』

雑学総研『誰も書かなかった 世界史「その後」の謎』(中経の文庫 2014)を読む。
教材研究の一環としてだったので、味わうことはなく、ただ参考になるところを探すだけでページを繰っていった。使えそうなところを引用しておきたい。

アイザック・ニュートンといえば、イギリス出身の物理学者、数学者、天文学者として有名だが、彼が光のスペクトル、万有引力の法則、微積分法といういわゆる「三大発明」をしたというのはまだ23歳のとき、1665年のことである。

活版印刷術を発明し、15世紀半ばの西欧文化に革命をもたらしたヨハネス・グーテンベルク。金属活字は14世紀の朝鮮ですでに用いられていたが、彼の発明が画期的だったのは、規格が決められた容易に交換可能な金属活字をつくったこと、印刷用のインクをつくったこと、油絞り機などにヒントをえてプレスを用いたことにある。

1271年、父・ニコロと叔父・マッフェオとともに中国へ出発し、24年ののち無事に故郷・ヴェネツィアへ帰還した商人・旅行家のマルコ・ポーロ。マルコが中国へ向かったのは17歳のときで、陸路を伝い、4年後の1275年に中国へ到達。フビライ・ハン率いる元朝に仕え、雲南や揚州で徴税に関する仕事に就いたのち、1295年に3人でヴェネツィアに戻ることができたのだった。マルコはこのとき、41歳になっていた。

「聖書の次に世界で刊行されている」と称される『ドン・キホーテ』の作者セルバンテス。同作の第1部の初版が刊行されたのは1605年1月のこと。毎日図書館で騎士物語を読みふけっていた下級貴族が現実と虚構との区別がつかなくなり、ついには自らを「ドン・キホーテ」と名乗ってやせ馬・ロシナンテにまたがり冒険の旅に出る、という物語である。

新大陸の征服者(コンキスタドール)の代表的人物といえるのが、わずか数か月でアステカ帝国を征服したエルナン・コルテスである。(中略)コルテスにとって幸運だったのは、アステカ族が使用していた暦により、「西からケツァルコアトル神が帰還する」とされていたことである。その年がまさに1519年だったのだ。この情報を聞きつけたコルテスは、それまでに収奪した宝石で自身を飾り立て、銃を鳴らすことでアステカ族を威嚇し、まんまとアステカ帝国の首都・テノチティトランへ入ることができたのである。