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『猿之助の歌舞伎』

市川猿之助『猿之助の歌舞伎』(新潮社 1984)をパラパラと読む。
現在テレビドラマで活躍されている四代目市川猿之助の叔父にあたる三代目市川猿之助さんの著書である。宙乗りや早替わり、派手な立ち回りなどエンターテイメント要素の強い歌舞伎の舞台裏をばっちりと解説している。また、著者は古典的な歌舞伎の枠を脱してオペラやアニメの世界観を取り入れたスーパー歌舞伎の創案者でもある。そうした革新の理由について著者は次のように語る。喧嘩を売るような文章が目を引く。芸術家にはこのような自尊的な物言いも時には必要だと思う。

 日本の四代古典芸能というと能狂言、文楽、雅楽、そして歌舞伎とされていますけれど、歌舞伎には他の3つと比べて厳然と異なるところがあります。それは歌舞伎が大衆芸能として成立し、その時代の人々とともに生きつづけ、今なお変革しつづけている芸能だということです。
つまり時代によって観客の好む方向が違う。その方向に敏感に反応し、先取りすることによって歌舞伎は長く、幅広い階層に支えられてきました。その点、能や文楽、雅楽などは今、純度の高い化石みたいな存在です。これ以上変えようもなく変わりようもなく、素晴らしい作品としていわば博物館入りしている。最近歌舞伎も博物館入りへの岐路に立っているとかいわれていますが、そうなったらもう歌舞伎ではありません。歌舞伎の原点は、あくまで大衆芸能として生きつづけてきた点にあるのですから。

『玉砕の戦場』

『図説|玉砕の戦場:太平洋戦争の戦場』(河出書房新社 2004)をパラパラと読む。
1942年のガダルカナル島での攻防から1945年の硫黄島での全滅まで、当時の日本の新聞記事や米軍の従軍記者による記録写真などで振り返る。サイパン島の海岸に転がる日本兵の死体の山を見るに、一度動き出した物事を止めることができない、日本の右へならえ主義が垣間見える。

『アラブのゆくえ』

岡倉徹志『アラブのゆくえ』(岩波ジュニア新書 1991)をパラパラと読む。
著者も記している通り、湾岸戦争の最中に依頼があり、イラクがクウェートに侵攻した背景やパレスチナ問題など、中東・アラブ世界の宗教や民族、大国の利害といった点について分かりやすく書かれている。後半の中東戦争やイスラエル国の成立までの長い歴史の部分はつまらなかった。気になった部分を描き抜いておきたい。

イスラムの休日(安息日)にあたる金曜日、モスクの内と周囲は礼拝に集まる人たちでたいへんにぎわいを見せます。

アリーの第四代カリフ就任には、第三代カリフ、ウスマーンの属していたウマイヤ家が反対しました。このためアリーはウマイヤ家と戦闘状態に入りましたが、661年、礼拝に行く途中、刺客の手にかかって殺されてしまったのです。

1989年の国連統計によると、イラクの総人口は1878万人で、そのうちイスラム教徒は90%をしめています。だが、この国のスンニ派は45%(イラク北部の少数民族クルド人のスンニ派20%をふくむ)で、シーア派が50%と優位に立っています。フセイン大統領らの支配階級は、もちろんスンニ派です。宗教図式的にいうと、この国では少数派のスンニ派が多数派のシーア派をおさえる格好になっていました。

現代のイスラエル国の国旗は、白地の中央にダビデの星を配し、上下にブルーの二本の線が入っていますが、上の線はナイル川を、下の線はユーフラテス川を示し、ユダヤ人の祖先たるダビデの国はナイルからユーフラテスまでの間に存在するということを意味している。

『ネグロス』

山本宗補『ネグロス:嘆きの島』(第三書館 1991)をパラパラと読む。
フィリピンで4番目に大きいネグロス島で起きた武力衝突や難民、貧困、プランテーション、NGO活動、国際結婚ビジネスなど、嘆きしかない島の惨状を写真と共に紹介している。

特に日本にエビを輸出するために、砂糖キビ畑を潰して、一面エビ養殖場のプランテーションに様変わりした写真が印象に残った。近年はインドやベトナム、インドネシアからの輸入が多いが、1980年代はフィリピンでも日本に輸出するために汽水のマングローブ林を伐採してエビの養殖場が次々と作られていった。しかし、ネグロス島で生産されるエビの身のほとんどが日本に輸出され、島の人々にはエビの頭の部分しか回ってこない。

その他、学生時代に先輩が批判していた財団法人オイスカ(NGO)の問題や丸紅による銅鉱山開発による自然破壊など、ネグロス島を取り巻く問題について丁寧に論じられている。しっかりと現地を回ってインタビューを重ね、現出される問題点の背景にメスを入れていく、ジャーナリストとしての姿勢が伺われる。

『蜩の記』

第146回直木三十五賞受賞作、葉室麟『蜩の記』(祥伝社 2011)を読む。
久しぶりの感動作であった。3年後の切腹を命じられ幽閉の身の秋谷と、刃傷沙汰により秋谷の監視役を仰せつかった庄三郎の二人の武士の物語である。そして村の百姓との出会いや恋物語、武士としての信念など、様々なエピソードを交えて、人間的に未熟だった庄三郎が心が通い筋がとった武士として成長していく姿がかっこいい。
直木賞受賞作として申し分のない出来である。