岡倉徹志『アラブのゆくえ』(岩波ジュニア新書 1991)をパラパラと読む。
著者も記している通り、湾岸戦争の最中に依頼があり、イラクがクウェートに侵攻した背景やパレスチナ問題など、中東・アラブ世界の宗教や民族、大国の利害といった点について分かりやすく書かれている。後半の中東戦争やイスラエル国の成立までの長い歴史の部分はつまらなかった。気になった部分を描き抜いておきたい。
イスラムの休日(安息日)にあたる金曜日、モスクの内と周囲は礼拝に集まる人たちでたいへんにぎわいを見せます。
アリーの第四代カリフ就任には、第三代カリフ、ウスマーンの属していたウマイヤ家が反対しました。このためアリーはウマイヤ家と戦闘状態に入りましたが、661年、礼拝に行く途中、刺客の手にかかって殺されてしまったのです。
1989年の国連統計によると、イラクの総人口は1878万人で、そのうちイスラム教徒は90%をしめています。だが、この国のスンニ派は45%(イラク北部の少数民族クルド人のスンニ派20%をふくむ)で、シーア派が50%と優位に立っています。フセイン大統領らの支配階級は、もちろんスンニ派です。宗教図式的にいうと、この国では少数派のスンニ派が多数派のシーア派をおさえる格好になっていました。
現代のイスラエル国の国旗は、白地の中央にダビデの星を配し、上下にブルーの二本の線が入っていますが、上の線はナイル川を、下の線はユーフラテス川を示し、ユダヤ人の祖先たるダビデの国はナイルからユーフラテスまでの間に存在するということを意味している。