『手塚治虫がねがったこと』

斎藤次郎『手塚治虫がねがったこと』(岩波ジュニア新書1989)を読む。
『ジャングル大帝』や『三つ目がとおる』、『火の鳥』などを中学生にも分かりやすく解読している。全作品を通じて、戦争や環境破壊に対する断固たる「否」そして、生命へのつきとおせぬいとおしみに、手塚漫画の核心があるとの結論であるが、論旨も分かりやすく私も頷く箇所が多かった。

1974年に『少年キング』に連載された『紙の砦』の中で、1945年当時の軍需工場での場面で、手塚自身の分身である大寒鉄郎の次のような会話がある。

「大寒さんもこの工場で働いているの?」
「京子ちゃんもかい? こりゃグーゼンだね」
「あたし倉庫部なの。……音楽学校に入ったのに、こんなことやらされるなんてひどいわァ……。だから、お昼休みのコーラスだけがたのしいわ」
「ぼくは旋盤工場さ……。でも、サボってかげでマンガばかりかいているけどね」
「あいかわらずかいてるの?」
「ぼくにマンガかくなっていわれたら首つるよ。戦争が終わったら、自由にマンガかけるようになるんだろうね。ぼくはマンガ家になるよ!」
「あたしはオペラ歌手になるわ」

ちょうど昨年見た「戦場のピアニスト」の映画のように、マンガを描くということにこだわる姿勢を見せつけることで、戦争という状況に抵抗している手塚の姿が垣間見える。中野重治の『村の家』で描かれた勉治の「やはり書いていきたいです」

高校教育相談研究会

埼玉県東部地区の高校教育相談研究会の研修に参加した。時間の都合で午後の都留文科大学教授の河村茂雄氏の講演会のほんの一部しか聞けなかったが、学校現場に共通する教員同士の連繋の難しさと生徒指導のタイミングについて的確に問題点を指摘していた。

現在の学校現場では「教員-生徒」という縦の関係をごり押しすると生徒は離れていく。同じ人間だという横の関係を大切にしなくてはならない。しかし「触れ合い」は容易に「馴れ合い」へと変容してしまい、そのうちに厳しくしても優しくしても生徒は動かなくなり、ルールが無くなってきてクラスの締まりが壊れていくという話であった。そうなると「察してくれよ」という教員の思いは伝わらなくなる。そうした「触れ合い」から「馴れ合い」に移行するのは1~2ヶ月だという。その間に「先生はすごいんだ」ということを生徒に見せないと、人間の本能で生徒は勝手な評価(厳しい先生、優しい先生……)をつけ始める。そしてその評価のベクトルから外れた時(優しいと評価した先生が起こった場合)、「逆ギレ」されたと捉えられてしまう。

10年前だったら、熱心だとか、教え方がうまい、受験に精通しているというだけで、生徒から「先生はやはりすごい」という評価を得る事が出来たが、現在はそれだけでは通用せず、特に教育困難校ではますます生徒の学校離れが加速していく。現在は教員が自分を語ることが大切である。なぜ教員を志したのか、どういう気持ちで教壇に立っているのかと。今の生徒は「生きる力」がないのではなく、具体的な行動に結びついていく「生きる目標」が見出せない時代に生きている。だからこそ生徒よりも長く生きている教員が自分を語ることが大切だと河村氏は述べていた。

『天気予報はこんなに面白い!』

平井信行『天気予報はこんなに面白い!:天気キャスターの晴れ雨人生』(角川oneテーマ21)を読む。
気象予報士になるまでの半生記と気象予報士の仕事のあらましを紹介している。平易に書かれており、気象学や地理学を目指す高校生にとって進路を考える上で参考になる本であろう。

『ボウリング・フォー・コロンバイン』

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マイケルムーア監督作品『ボウリング・フォー・コロンバイン』を観た。
コロンバイン高校での銃乱射事件の背景を追いながら、アメリカの銃社会に深く切り込んでいく。右顧左眄しながら、根底に横たわる行き過ぎたコマーシャリズムや黒人差別、武力ありきの外交政策に対する批判を投げかけていく。作品中でアメリカの個人主義的な行動に対し、日本の同情主義を褒め称えていたが、当の日本人からすると日本人の思いやりなるものも、通勤通学での光景を見るにアメリカと似たようなものであろう。

『会社人間はどこへいく:逆風下の日本的経営のなかで』

田尾雅夫『会社人間はどこへいく』(中公新書1998)を読む。
組織分析や経営管理論を専攻している著者ならではの日本の会社人間なるものの的確な分析がなされている。

組織の経営管理としては、勝手に働く上澄みと下に沈んだ沈殿槽だけに二分化してはいけない。働き蜂は、2割の優秀な蜂と、2割の怠慢な蜂と、そして6割の中間層で構成されている。しかし下の怠慢な2割の蜂を間引いても、残りの8割の中から更に下の2割が働かなくなるという有名な研究がある。著者はその6割の中間層が一番会社への忠誠心が強いことに着目し、中間層を会社にすがるしかない生き方を強い、会社人間に仕立て上げることが、会社にとって好都合であると説く。

また尾高邦雄氏の一連の研究(『日本の経営』中央公論社)による会社への帰属と組合への帰属の研究が興味深かった。それは会社員の企業と組合に関する帰属は対立するものではなく、両立的、または重層的であるとの見方であり、労働組合の一員でありながら、企業の従業員として、熱心に企業のために働くという現実主義的態度にその後の高度成長期における企業発展のバネともいうべきダイナミズムを読み取ることが出来るのだ。