『漢字と日本人』

高島俊男『漢字と日本人』(文芸新書 2001)を読む。
日本語と漢字の歴史を掘り起こしながら、日本語にとって欠かすことのできない漢字が、逆に日本語をややこしいものにしてしまっていると述べる。「言語というのは、その言語を話す種族の、世界の切りとりかたの体系である。だから話すことばによって世界のありようがことなる。言語は思想そのものなのだ」と述べ、言語は国民性や歴史と深く結びついたものであり、いたずらにローマ字表記に改めようとする政策や「ほ乳類」などの簡易表記、森「鴎」外といった略字表記を痛烈に批判している。「文藝春秋」的なプチ国粋主義を醸し出しつつ、日本語は和語と漢語のちゃんぽんという「畸形」のまま生きてゆくよりほか生存の方法はないと、言語の連続性を主張する。

また、赤ん坊が一番出しやすい音は唇音(上下のくちびるをはじいて出す音、つまりm音とp音とb音)だから、世界中どの人種の言語でもたいがいお母さんを呼ぶ言葉は唇音であるということや、国語審議会のそもそもの発足の意図は漢字の廃止とローマ字採用にあり、その趣意に賛同したのが読売新聞で、題号が横書きなのはそのなごりであるとか、作家山本有三が当用漢字表にいったん外されかかった「魅力」の「魅」の字を復活させたというエピソードなど、漢字に纏る豆知識が面白かった。

『大魔神伝』

久しぶりに雑記帳の更新となった。ここしばらくあまりに忙し過ぎて本1冊すら読む余裕がなかった。また寸暇を惜しんで、こつこつと読書に勤しんでいきたい。

佐々木主浩『大魔神伝』(集英社 2000)を読む。
横浜ベイスターズで活躍した佐々木選手がメジャーに移籍する直前に書かれた本で、小さい頃からの野球に対する思いや、打者との真剣勝負の爽快感など、ゴーストライターの手を借りて切々と述べられている。一方で、日本を去る者だからこそ言えるベイスターズ球団に対する率直な感想や、日本球界全体に対する批判的な意見も展開されている。キング・オブ・スポーツの醍醐味と、ドライなビジネスとしての側面の狭間に立たされた佐々木選手の苦悩はよく伝わってくる。僅か4年のメジャーでの活躍は評価の分かれるところであろうが、メジャーで活躍した後、また日本球界に戻ってくるという先鞭を付けた功績は高く評価してよいだろう。

『津軽』

太宰治『津軽』(新潮文庫 1951)を読む。
大宰の出身地である津軽の旅行記である。生まれ故郷をあちこち気ままに赴き、最後は幼児期に母に代わって育ててくれた元女中との感動的な再会シーンで留め筆されている。大宰にしては珍しく、その元女中のタケとの出会いにおいて、「私はこの時、生まれてはじめて心の平和を体験したと言ってもよい。世の中の母というものは、皆、その子にこのような甘い放心の憩いを与えてやっているものなのだろうか。そうだったら、これは、何を置いても親孝行したくなるにきまっている」とこころおきない素直な人間愛を表明している。

『でかいプレゼン』

高橋征義『でかいプレゼン:高橋メソッドの本』(ソフトバンククリエイティブ 2005)を読む。
ソフトウェア開発者である著者が苦手なプレゼンを何とか乗り切ろうと、苦肉の策であみ出した効果的なプレゼン方法が紹介されている。伝えたいことを一言だけ、画面いっぱいに表示することで、見やすく画面に集中できるインパクトのあるプレゼンができると著者は述べる。画面を見ると、何やら昔のルパン三世やエヴァンゲリオンの番組タイトルシーンのようだ。しかし、著者も「高橋メソッドが魅力的に見える理由は、日本語の文字体系が非常に豊かであり洗練されているためでしょう」と述べるように、表意文字としての漢字の特徴である視認性(一目で意味内容を把握することができる)に改めて着目した点はすばらしい。

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また、みのもんたが「午後は○○思いっきりテレビ」でフリップの一部のキーワードを隠して話を展開する”もんたメソッド”なるプレゼン法も巷間あるらしい。