教育基本法

本日の東京新聞朝刊に教育基本法をめぐるタウンミーティングに関するコラムが掲載されていた。その中で次のような記者の私感が載っていた。

教育基本法「改正」でも、政府がやり玉に挙げるのが日教組だ。でも、その委員長はテレビ討論で「改正」推進派にほとんど腰砕けだった。組織率も三割ほどに低下したこの組織に昔日の力などない。だから、日教組が教育荒廃の元凶だというのは言いがかり。事なかれに徹する教師の姿こそ元凶ではないのか。(牧)

なかなか正鵠を射た意見である。「わが国の郷土を愛する心」や「国際協調」の語句が入る「改正」だろうが、「改悪」だろうが、本当に教育基本法にこだわった教育を展開しようとする者にとってはそんなことは瑣末なことである。記者の指摘するように、本当の害悪は教育基本法の理念のかけらもなく、生徒との関わりから逃げサボることだけを考えている怠慢教師である。

『老化とは何か』

 今掘和友『老化とは何か』(岩波新書 1993)を読む。
 タウタンパク質だの、グルココルチコイドなど専門用語がさっぱりだったので、本編は半分ほど読み飛ばし、最後のエピローグだけじっくりと目を通すことになった。その中で次の一節に目が留まった。

 考えてみると、老人の福祉や治療というのは、高齢化社会のもたらす問題に対する対処療法であるに過ぎません。医療には対処療法と根本的治療があります。頭痛がする患者さんに鎮静剤を与えるのは対処療法です。頭痛の原因が例えば脳血腫であるとするなら、鎮痛剤で一時的に治まったとしても、必ず再発します。これに対し、頭痛の原因が脳血腫であることを見極め、これを除去するのが根本的治療です。高齢化社会の問題は加齢に伴い、多少の機能低下は仕方ないにしろ、大きな機能低下が起こる点にあります。これを防止することがこの問題の根本的治療であるはずです。そのためには、「老化の生物学」が大きな役割を果たすのだと思っています。

 著者は、老化の実態を、「高齢社会」や「医療・年金」、「介護・福祉」といった社会的な切り口ではなく、ずばり生理学的な側面からこれを問題視し解明を試みる。確かに私たちは高齢に伴う様々な機能的障害や社会的不利を自明のものとして考えがちである。しかし、機能低下そのものの改善が前提になければならないという著者の見解は、私自身が狭い視野に捕われていたことを知らしめてくれた。

『Z』

梁石日(ヤン・ソギル)『Z』(毎日新聞社 1996)を読む。
一人の在日韓国人の作家を主人公が、日韓政治の狭間に未だに生息する旧日本軍や日本の右翼と通ずる韓国の闇政治に踏み入っていく。話はフィクションではあるが、金大中以降一切否定されてきた、韓国の軍事政権を下支えしてきた反民主勢力の実態が浮き彫りになっている。

途中、時代が大きく遡り、日本の朝鮮半島支配が1945年8月15日で突然終わり、旧ソ連が平壌を実質的に支配する情勢の中で米国の息のかかった李承晩政権が誕生するまでの悲劇が挿入される。どこまでが事実なのかは判然としないが、朝鮮戦争に至るまでの韓国国内の残虐非道な人権蹂躙行為はきちんと振り返らなければならない。

『命』

三田誠広『命』(河出書房新書 1985)を読む。
雑誌「文藝」に掲載された私生活や仕事、友人に関するエッセーを小説仕立てにまとめたものである。仕事で行き詰まったストレスやフラストレーションをモチーフにしたような作品が多く、読んでいるこちら側もストレスがついたまってしまう。
しかし、その中で「道」と題した、セクトの秘密組織の活動家の友人の死に関する話は秀逸で大変興味深かった。三田誠広氏というと学生時代の内ゲバを描いた「僕って何?」が有名であるが、私はその作品における作者の日和見的態度が気に入らなかった。学生時代は唾棄すべき作品であった。しかし、著者自身の内面には現実に身を賭して活動している学生に対する引け目が常にあり、大学を卒業して一端の作家になった当時においても、現役の活動家として社会変革を試みる友人との距離感を図ることで、自分の存在位置を確かめていたという。

それから二十年近く経ったいま、私は作家のヌイグルミを着て、文壇やマスコミを渡り歩き、(友人のセクト活動家である)小野浩介は無名の戦士として、傷つき斃れた。正直に言えば、私は小野浩介を恐れていた。(中略)なぜそれほど恐れていたのか、本当のところはよくわからないが、小野浩介のことを考えると、自分が鎧っているヌイグルミの醜さが露呈してしまいそうな気がしたのかもしれない。

私は時折、自分はなぜ自分であって、そのヒーロー(東大闘争において最後までバリケードの内側に籠り、長い裁判闘争を続ける友人)ではないのかということを考える。(中略)私はそのヒーローと、討論の席では、一人前の口をきき、対等に議論していたのだ。その議論の席で私を支えていたのは、たとえ口先だけのものであったにしても、「理想」であったり、「信念」であったりしたわけだ。その「理想」や「信念」がいまはどうなってしまったのかということもまた時折考える。あるいはまた、結果的にはそのヒーローを見捨てて逃走した他の仲間たちのことも考える。いまはふつうのサラリーマンの日常性の中に埋もれている彼らの「理想」や「信念」はどこへ行ってしまったのか。私はそのことにこだわり続けずにはいられない。そしてそのこだわりが、私の「書く」という行為を支えているのかもしれないのだ。

私はなぜここ(商業作家という立場)にいるのか。私はどこへ行こうとしているのか。よくはわからない。ただ私には書きかけの作品がある。私は書かなければならない。書いて書いて書き続けることによって、小野浩介が私に与えてくれた問い(反権力で居続けることへの不安)の答えを探さなければならない。この道の遥か先に、私の故郷がある。その道のどこかで小野浩介は命を落とした。このまままっすぐに進んでいけば、いつかその現場に辿りつく。しかし私はやがて道を折れ、自分の孤独な仕事場へ向かうだろう。そこには同じように孤独な「小野浩介」がいて、私に議論をふっかけようとして待ち構えているのだ。

ここまで読み進めて、では一体私は何との距離感でもって、今の自分の位置ベクトルを確かめているのだろうか。試験問題づくりで煮詰まっている私の頭では杳として答えは出ない。

『ブエノスアイレス午前零時』

第119回芥川賞受賞作である藤沢周『ブエノスアイレス午前零時』(河出書房新書1998)を読む。
年寄り向けのダンスホールしか目ぼしい施設がない、雪と山に囲まれた田舎ホテルで、現実の平凡な生活にくすぶる青年の心理を描く。一見フィッツジェラルドを思わせるような物語世界で、淡々とした日常の中の倦怠感を描く。しかし展開に起伏がなく最後まで読むのが苦痛であった。
むしろ併載作『屋上」の方が面白かった。丸一日デパートの狭隘な屋上で働くサラリーマンの鬱屈した感情と、それと相反するかのような広漠とした虚構世界が入り乱れ、不思議な読後感の漂う作品である。