諸岡達一『死亡記事を読む』(新潮新書 2003)を読む。
タイトルの通り、朝日、読売、毎日の3紙を読み比べ、定型のありふれた記事の行間から故人の生前の活躍や各社の姿勢の違いを読み取る。視点は良いのだが、文章は練られておらず、自費出版的な雰囲気の漂う作品である。
『社会人大学院へ行こう』
山内祐平・中原淳・社会人大学研究会編著『社会人大学院へ行こう』(日本放送出版協会 2003)を読む。
社会人生活から大学院へという、これまでの日本では難しかった新しい学びのスタイルを分かりやすく紹介する。実際に大学院に通うに当たって退職や転職を経験した人へのインタビューも交え、大学院修了イコールばら色の将来ではないという現実も突きつける。
少子化で経営に苦しむ大学側とスキルを身に付けないと生き残れないサラリーマン、生きがいを見つけたいと願う青い鳥族たちの思惑が今のところ一致しているのであろう。特に研究者養成ではなく、社会人再教育の大学院がここ最近、ことに増えている。
長い人生、1年ないし2年自分の研究テーマを追うというのも格好いいとは思うのだが、仕事や家族のことを考えるとどうしても二の足を踏んでしまう。さて、どうするか。
日本人はとかく計画を立てたがる。何十年先まできちんと計画を立て、その通りに動かないと気持ち悪いという人も多い。計画を立てることは大事だが、さまざまな出来事をきっかけに計画を柔軟に変えていき、その過程を面白いと思えること、それが世界に対して開かれているということである。
今の日本には、社会人大学院へ行くことを大学に入る前から考えている人はほとんどいないだろう。つまり、社会人大学院へ行くこと自体が、人生における計画の変更なのだ。自分を信じ、将来の不確定性を無限の可能性に読み替えるところから、この冒険は始まるのである。
今年度の手帳
一年も半分を過ぎてから、今年度の手帳を買い直した。ここ3年ほど、2穴リフィルや、A5サイズの6穴リフィルのシステム手帳を使っていたが、高校に移ってからはどうも使い勝手が悪いと感じていた。日常デスクワークが主体で、常に目の前にメモ帳やファイルがあるにも関わらず、分厚いシステム手帳を開くのはあまり非効率であり、だいいち億劫である。特に4月以降は義理で色々と書き込んでいたが、正直携帯電話のカレンダー機能の方が使い勝手がよく、無用の長物と成り果てていた。
ということで、数年前に使っていた「超」整理手帳に戻ることになった。運よく1冊だけアマゾンに在庫があったのですぐに「ポチッ」としてしまった。ポストイットやメモ帳、ToDoリストを使いこなし、ばりばりのビジネスマンよろしくスケジュール管理を行ってみたい。手帳を使うことで余計に仕事や家族に忙殺されるのではなく、読書や映画といった有意義な「暇」な時間を創り出していきたいと思う。
吉見百穴 東松山
『地獄変・偸盗』
芥川龍之介短編集『地獄変・偸盗』(新潮文庫 1968)を10数年ぶりに読み返す。
ちょうど高校1年生の授業で「羅生門」を扱っている最中なので、参考になれば本棚の奥から取り出してみた。芥川の王朝物第二集ということで、「偸盗」「地獄変」「竜」「往生絵巻」「薮の中」「六の宮の姫君」の6編が収められている。その冒頭の「偸盗」は芥川自身は「安い絵双紙」のような通俗的なもとだと、自分の一番の悪作だと自嘲する作品だったと言われるが、羅生門を巡る生死のドラマが描かれており、『羅生門』を学んだ高校生に勧めたい作品である。


