坂本龍一+sustainability for peace監修『非戦』(幻冬社 2002)をパラパラと読む。
9.11アメリカ同時多発テロ事件とアルカイダへの報復を意図したアフガニスタン紛争について、各界の著名人の寄稿文が収録されている。坂本氏は次のように述べる。
TVではブッシュ大統領が「これは戦争だ」と宣言した。ついで、小泉首相がそれを支持する声明を出した。しかし報復すれば、傷つくのはどこにも逃げ場のない子供を含む一般市民だ。小泉首相は平和憲法をもつ国の代表として、いかなる戦争行為も支持するべきではない。ましてや無実の市民が傷つくことも辞さない戦争に加担するわけにはいかないはずだ。そして戦争支持宣言をしたことで、同様のテロ攻撃が日本にも及ぶ可能性が増すことになった。一国の首相として、国民をあえてそのような危険にさらしていいのだろうか。なぜ国民の側から疑問の声があがらないのだろうか。
もし日本の首相が憲法に基づいて戦争反対を表明し、平和的解決のための何らかの仲介的役割を引き受ければ、世界に対して大きなメッセージを発し、日本の存在を大きく示すことができたはずだ。その絶好の機会を逃してしまったが、まだ遅くはない。これは日本のためだけでなく、21世紀の国際社会への大きな貢献になるはずだ。
ぼくは思う。暴力は暴力の連鎖しか生まない。報復をすればさらに凶悪なテロの被害が、アメリカ人だけでなく世界中の人間に及ぶことになろう。巨大な破壊力をもってしまった人類は、パンドラの箱を開けてはいけない。本当の勇気とは報復しないことではないか。暴力の連鎖を断ち切ることではないか。
改めて、日本国憲法第9条には次のように書かれている。
第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
北朝鮮による通告なしのミサイルは言語道断だが、米韓合同軍事演習や航空自衛隊と米軍爆撃機編隊との共同訓練も同じく、「武力による威嚇」であり容認できるものではない。アフガニスタン紛争やイラク戦争が結局は解決のない泥沼になってしまった歴史を踏まえるべきである。「報復のための戦争」「正義のための戦争」「民主主義を守るための戦争」のいずれも失敗に終わった歴史を。
私と同年齢の重信命(May)さんは次のように述べる。
何よりも大切なのは、この世界の構成員である私たちが、世界システムの新しいパラダイムを考えはじめることであり、そこでもっとも重要な役割を果たすのはおそらく日本だろう。日本は平和憲法を持ち、戦争に参加しない権利がある。残念ながら、その大切さはまだ認知されていないが、手遅れになる前に理解されることを望みたい。
また、本書はアフガニスタン紛争、その原因となったアメリカ同時多発テロだけでなく、その原因ともなった米軍によるアフガンへの武器供与やイスラエルによる武力制圧の全てを、子どもの生活や未来を奪う戦争に反対するという立場で貫かれている。一般市民が犠牲になる武力行為は否定されるというのが一般的な了解事項である。しかし、今般の北朝鮮問題では、一般市民の姿、とりわけ子どもの様子が報じられない。北朝鮮が情報を出さないのか、日本のマスコミが意図的に報じないのかは分からないが、北朝鮮で暮らす一般市民の生活がもっと見えてくれば、少しは冷静な判断ができるのではないだろうか。繰り返し繰り返し金正恩とミサイルの映像ばかり見せつけられては、「北朝鮮=怪しい=滅ぼすべきだ」という短絡的発想に洗脳されてしまう。