五木寛之『樹氷』(文藝春秋 1970)を読む。
現在も刊行されている「スキージャーナル」(1968.10〜1970.4)に連載された小説である。
全共闘運動に代表される反体制の気風が吹き荒れた時代の最中の作品であり、体制・反体制や資本主義の是非がテーマとなっている。
登場する4人の男は元々全員がアマチュアのスキー愛好家であったが、否応無しに政治や経済、マスコミ、商業スポーツなどの資本主義の体制側に組み込まれていく。徹底して国土開発に突き進んでいく時代の中で、一人は突き進み、一人は立ち止まり、一人は逡巡し、一人は脱落していく群像劇となっている。
また、最後の大勝負に出た藤沢の命運を握る秋山の滑降のシーンが秀逸であった。将来を託した4人の男の緊張感が「すっげー」伝わってきた。
五木氏の時代を感じるとる鋭敏な感覚が覿面に表れた作品だと思う。
高校時代に読んだのかどうか記憶にないが、もし読んでいたとしたら、当時の自分のものの考え方に少なからず影響を与えた作品だったのではないか。
印象に残った主人公のセリフを書き留めておきたい。デモのために渋滞に巻き込まれたタクシーの車窓から、デモの列をじっと眺めているテレビ局員北沢のセリフである。時代がかったものであるが、今現在の私たちに突きつけられている疑問でもある。
「ただ、おれが考えてることはこうなんだ。スポーツ自体は、それ自身として楽しいし、素晴らしい。それは本当だ。だからといって、それだけに熱中していられる連中が、その素晴らしさと遠い所にいるデモの列を他人のように見ることができるものかどうか。ひょっとすると彼らがスポーツ自体の興奮にゆだねて青春をそれにかけることが出来ること自体、反戦や反体制の目的でデモっている彼らの行為に守られているのじゃないか。平和あってのスポーツだからな。それが、なぜかスポーツマンは、体制側と密着してノンポリのグループに属してしまう傾向がある。ノンポリならいい。むしろ保守の側に身をおこうとする気配があるのは、なぜだろう。」