日別アーカイブ: 2025年9月12日

『大学教授になる方法』

鷲田小彌太『大学教授になる方法』(青弓社,1991)を読む。
タイトルの通り、大学教授になるためのハウつー本である。著者が勤務する札幌大学の教員採用選考の過程まで具に公開し、かつては象牙の塔と思われていた大学の世界を顕にする。著者は最後に次のように述べる。

私は、大学は、未だ、エリート養成の大学から大衆大学へといたる過渡期を完了していない、と考えている。学生の方は、ほぼこの過程を完了しつつあるといってもよい。しかし、大学の組織や機能、とりわけ大学教員は、この過渡期のなかでもがいているというのが現状なのである。大衆大学への変貌を否定的にのみ見るのは、論外である。西部選がいったように、大学教員という「専門」人は大衆の原型である。私は、西部とは違って、それでよいと思っている。精神的貴族になりたい人はなればよいが、そんなことは希なのであって、希なことを大衆(多数)教育のなかにもちこむのは、邪道なのである。問題は、大衆にしかすぎない大学教授が、精神的貴族ぶっていることにこそある。これこそ、笑うべきことなのである。大学教員が、知的エリートたらんとすることを否定したいわけではない。しかし、ほとんど不可能に近いことを要求するに似ているのである。

全共闘の頃と問題意識が近い。
明治大学法学部社会学の栗本慎一郎教授にも触れられていた。栗本教授は学生時代からコピーライターのバイトをしていたようで、「やめられない、とまらない、カッパえびせん」のコピーを書いたとのこと。知らなかった〜〜。