毎日新聞奈良支局編『大和の塔』(創元社 1973)をパラパラと読む。
古都奈良にある塔といっても、興福寺や法隆寺の五重塔や薬師寺の東塔のような有名なものはわずかで、大半が石塔の紹介である。石塔(仏塔)の起源は古代インドに遡り、釈迦の遺骨を象徴する仏舎利を収めた墳墓を作り、その上に墓標を立てたのがはじまりとされる。これがインド語のストゥーパで、中国で「卒塔婆」と音訳され、塔婆となり、さらに塔と簡略化されたという。こうした言葉は「積み重ねる」という意味に使われ、墳墓の標識となるものを、いくつも「積み重ねた」訳だわけだ。
石塔の紹介がこれでもかと続くので、、眺めるのも飽きてしまった