日別アーカイブ: 2021年11月11日

「マクロン氏、原発回帰鮮明」

本日の東京新聞朝刊に、原発の発電割合が70%と世界一の原発大国であるフランスのマクロン大統領が、温室効果ガスを排出しないクリーンな電源として原発の新設を再開すると発表したとの記事が掲載されていた。

フランスを含むアルプス山脈の北側は安定陸塊であり、ユーラシアプレートの中心部にあるため、数千年というスケールでもM5を超えるような地震がほとんど起きない。福島第一原発のような危険性はかなり低いと思うかもしれないが、核のゴミが無害化までには10万年かかるので、日本の六ヶ所村もフランスも”偏に風の前の塵に同じ”である。

『人生の縮図』『自由への扉 DOORS TO FREEDOM』

高橋歩『人生の縮図』(A-Works 2003)、『自由への扉 DOORS TO FREEDOM』(A-Works 2007)をパラパラと眺める。職業・自由人の肩書きの著者が、海外の人物の写真と自分の生き方を探し、貫く心の叫びをポエムに託した、言葉は悪いが独り善がりな作品となっている。

『続・奈良点描』

長田光男『続・奈良点描』(清文堂出版 1985)をパラパラと読む。
奈良の歴史や十津川村の変遷、各地の旧跡、現在まで伝わる祭などが採り上げられている。その中で、吉野と中央構造線の関係ついて論考が興味深かった。吉野というと山の中の交通不便な僻地という印象が強い。しかし、不便な地と見るのは、奈良・大阪・京都などを中心に考えた時であって、この地を地形図で見た場合、ちょうど吉野は中央構造線のど真ん中にある。西は紀の川を経て四国・瀬戸内・九州へと行けるし、東は伊勢を経て東海地方へ容易に繋がるのである。飛鳥時代には大海人皇子、時代は下って源義経や後醍醐天皇など、吉野に入った人の数は多い。

また、奈良が1980年代前半まで奈良は靴下の一大生産地であったそうだ。当時から中国や韓国から安い輸入物が出回っていたが、まだまだ質の悪かったようで、国産には敵わなかったとのこと。このあと急激な円高によって、急激にシェアを落としていくのであるが、現在でも奈良は高級な靴下を生産している。

『三蔵法師インドを行く』

菅原篤『三蔵法師インドを行く:続・西遊記の旅』(筑摩書房 1984)をパラパラと読む。
仏典を求めてインドへ旅立った三蔵法師・玄奘のインドでの活躍が描かれている。物語中の仏塔の説明で次のように書かれている。

さて仏塔はどうして生まれたのだろうか?
いまから約2500年前ころにお釈迦様が亡くなったのち、その教えをしたった人たちが遺骨や歯や爪や髪の毛をつぼにいれ、塚を築き、その上にしるしを作ったものが、仏塔のはじまりであった。塚はもちろん、お釈迦さまにゆかりのある土地につくられrた。それがやがて、塚の上に記念の建物が作られたり、かざりが置かれるようになった。もちろんインドがその発祥の地であるが、仏教が東アジア全域にひろがるにつれ、方々に仏塔がたてられた。

法隆寺の五重塔やインドネシアのボロブドゥールなども仏塔が進化したものだと考えられている。