以下、本日の東京新聞朝刊の社説より引用。大変丁寧に奨学金の問題を報じている。日本学生支援機構の組織の在りようにもメスを入れて欲しい。
先ほどウィキペディアで調べたところ、学生時代に足繁く通った新宿区・下落合にあった「内外学生センター(学徒)」も一部の事業を除き、日本学生支援機構に吸収されたようだ。学徒で紹介された数々のアルバイトも今ではいい思い出である。
学費を心配せずに、大学に行けないか。もしそうなれば、いわゆる“貧困の連鎖”を断ち切る大きな一助になる。次世代に借金を背負わせ、学びの門戸を狭めていては、日本の未来はひらけまい。
だれにでも等しく教育を受ける権利を、憲法は保障している。それなのに、家庭の経済力が乏しい若者たちには、いわば学ぶ機会と引き換えに、多額の借金を強いるのが国の奨学金制度である。
これに対し、与野党を問わず、返済不要の給付型奨学金の創設を唱える声が高まってきた。参院選を前に、初めて投票権を手にする若年層に向けて訴える狙いがあるのかもしれない。
東京や愛知などの弁護士や大学教員、若者たちの奨学金問題対策全国会議は、給付型導入を選挙の争点にしようと声を上げている。いまや大学生らのおよそ四割は、日本学生支援機構を通じて国の奨学金に頼っている。親の収入の増える見込みが薄いのに、学費は上がる一方だからだ。
大学の年間の授業料だけをみても、平均して私立は約八十六万円、国立は約五十四万円かかる。
殊に国立は九万六千円だった四十年前の六倍近くに及ぶ。当時は九万円前後、いまは二十万円ぐらいの大卒初任給に照らせば、いかに高騰しているかがわかる。最大の問題は、国の奨学金には有利子枠と無利子枠の貸与型しかないことだ。有利子枠が約七割を占め、実質はローンである。
社会に出てから収入が不安定な非正規雇用などに甘んじ、返済に窮する若者たちは多い。本紙の年頭連載「新貧乏物語」が紹介したように、風俗店で働いたり、自己破産したりするケースまである。
滞納すれば、延滞金の上乗せはもちろん、個人信用情報機関のブラックリスト登録から強制執行まで取り立ては厳しい。将来の負担を嫌い、大学進学を諦めるという本末転倒の事態も生じている。国は、卒業後の収入に応じて返済額を増減する新しい奨学金を来年度から採用する。でも、債務を負うことに変わりはない。抜本的な救済策とはいえまい。
就職先の見通しも立たないうちから、借金を余儀なくさせる仕組みが問題なのだ。返済の負担は結婚や出産に響き、少子化や人口減少の要因にもなっている。
世界的にみて、日本は国内総生産に占める高等教育への公的支出割合が低すぎる。まずは給付型奨学金の実現をふくめ、未来のための教育財源を確保するべきだ。