月別アーカイブ: 2015年12月

『下山の思想』

五木寛之『下山の思想』(幻冬舎新書 2011)を読む。
国家も個人の人生も登るだけでは、やがて行き詰まってしまう。登山と同じように、登るのと同じくらいに下ること、身の丈に応じた国のあり方、後半の人生の生き方を説く。
3.11東日本大震災の後、急遽企画されたのか、五木氏は、登り調子で来た日本の国の行方を案じている。
印象に残った一節を引用してみたい。

 太平洋戦争の末期、沖縄まで米軍が上陸しているにも関わらず、私たちは日本が負けるなどとは夢にも思っていなかった。
 敗戦を冷静に予想していた少数のエリートはいただろう。しかし、一般の国民は、日本が負ける事態をまったく想像してもみなかったのである。
 目をそらす、とは、そういうことだ。(中略)「民」という字の語源には、残酷な意味がある。『漢字源』によれば、〈目を釘で刺すさまを描いたもので、目を釘で突いて見えなくした奴隷をあらわす。(中略)物のわからない多くの人々、支配下におかれる人々の意となる〉と、述べてある。
 国民の民、というのは、そういう意味なのだ。だから私は「民」という字が好きではない。人民といういい方も、民主主義という言葉も、なんとなく嫌いである。国は、民の目に釘を刺す存在である。「知らしむべからず」というのは、古代から国家統治の原点だったと言っていい。
 しかし、私たちはいまや国に依らなければ生きてはいけない。国家の保障する旅券を持たなければ、隣国にさえ行けないのだ。だからこそ、私たちはこの国の行方に目をこらさなければならないのである。

『ファッション』

森英恵『ファッション』(岩波新書 1993)を読む。
ファッションという苦手な分野だが、著者の戦争体験のくだりが興味深かった。

 頭の上で焼夷弾が破裂する防空壕のなかで、また黒い布をかぶせた灯の下で、アメリカの小説を読みふけっていたのは、背徳だったに違いない。でも、当時の私たちにとってそれは自然なことであったと思う。どんな状況のなかでも人間には何か夢が欲しいものなのである。
 戦時を生きた体験はたくさんのことを教えてくれた。自分の意志に関わりなく死と対決していなければならなかった。生きているぎりぎりのところで、人間性を見つめていた。食べたいもの、着たいもの、読みたいものを与えられなかった暮らしから、物の大切さしみじみと味わった日々をでもあった。知りたい、学びたい、読みたい、美しいものを見たいと切望した。そんな経験は、若い欲望やわがままを風化させて、生きていることの本質をしっかり見せてくれたように思う。

戦争の絶望の最中であろうと、「知りたい、学びたい、読みたい、美しいものを見たい」という自分の夢や欲求を持つことが大事なのである。そうした好奇心を芽生えさせることが、教育や育児の根幹なのである。戦争を防ぐ手立ては数多くあるが、作者は戦争を生き抜く術は知的好奇心であると述べている。

『書いて稼ぐ技術』

永江朗『書いて稼ぐ技術』(平凡社新書 2009)を読む。
タイトル通り、著者本人の実体験に基づく、フリーのライターして生活していくための細かいノウハウがまとめられている。
編集者との顔のつなぎ方や、仕事の進め方、ゴーストライターとしての書き方などにも触れられている。
「読書術」という章が印象に残ったので、引用してみたい。

 資料の基本は本です。どんな本を読むかによって、フリーライターの仕事の質は決まります。趣味で読むのではありませんから、好きな本だけ読んでいればいいというものでもない。ときには苦手なジャンルや嫌いな人の本も読まなければなりません。苦痛でも退屈でも、我慢して読むしかありません。
 フリーライターとして仕事をするときは、同じテーマの同じような本を大量に読むことをおすすめします。同じような本を何冊も読むのはムダなことのように思えるかもしれませんが、ムダなようなことを敢えてすることによって見えてくるものもあります。
 同じテーマの本をたくさん読んでいると、そのテーマに関する本質が見えてきます。私はこの現象を「球が止まって見える」と呼んでいます。松井やイチローにとってピッチャーの投げたボールが止まって見えるように、そのテーマの本質が見えてくるのです。
 似たような本であっても、著者が違えば主張がいかに他と違っているかを訴えようとしますから、少しずつ違っているんだけれども、共通しているところもたくさんあります。その共通しているところが、同じテーマの本を読むことによってだんだん絞られてきます。そのテーマについての最大公約数的なもの、それが「本当のこと」といっていいでしょう。

『指紋押捺拒否者への「脅迫状」を読む』

民族差別と闘う関東交流集会実行委員会編『指紋押捺拒否者への「脅迫状」を読む』(明石書店 1985)を読む。
だいぶ過去の話になるが、1985年5月、外国人登録証の指紋押捺を拒否した李相鎬さんに送られた61通に及ぶ「脅迫状」の内容と、その背景にある社会差別についての論考である。北朝鮮のスパイ活動も激しかったころであり、日本国を守るために指紋押捺制度が実施されてきたのだが、法的・国際的なデータを挙げながら、丁寧に反対の意見が寄せられている。
「脅迫」という感情的な意見に対しては、数字や比較データを出して抗していくしかない。
この指紋押捺という制度は、運動の高揚もあり1993年に廃止されているが、まだ在日韓国・朝鮮人に対する差別は残っている。