東京商工会議所編『環境社会検定試験eco検定公式テキスト:改訂5版』(日本能率協会マネジメントセンター 2015)を購入した。
今年の7月に「エコ検定」なる資格に挑戦しようと思い読み始めた。
8月の試験に向けて、地理学の勉強を始めたいのだが、分厚いテキストや参考書、問題集を読む時間も余裕もないので、手始めに環境全般を学んでみようと思う。
試験に受かることよりも、環境をキーワードに世界が繋がっている現実や、文系・理系を超えた取り組みなど、面白そうなテーマを見つけ、関連する本にあたっていきたい。また、合わせて検定のテキストでも触れられている原発関連の本も読んでいきたいと思う。
とりあえずは30冊読破を目標としたい。
月別アーカイブ: 2015年2月
〈集会等お知らせ〉
★=========「イスラム国」の成り立ちを映画に==========
ISISの成り立ちに際して、NATOやCIAや英国などの陰での協力、武器販売や訓練などが取り沙汰されておりますが、テロリストへの武器搬入ルートに関しては当然、表向き反米英勢力ですし東側諸国からの武器提供協力の跡もあるようです。NHKや池上彰で特集番組が組まれましたが、マケイン議員やイスラエル軍部とイスラム国テロリストが同席している写真など見ますと、それでもまだ、疑問の残る感触があります。イスラム国の存在自体が民族戦線を利用された茶番であり、昔から是が非でも世界大戦を望む、国境無き1%NETWORKの軍産複合体が仕込を行っている、という見方もあるので、やはり、日本も茶番を覚悟で、彼らの挑発に乗らない事が肝要ではないかと思っています。
しかし元々現地民にとっては深刻な問題です。イスラム教の中では穏やかに暮らせるのに、自分達の生活に干渉される事の辛さ。今回の草の実アカデミーでは、現地の人々の感情や悲惨な中東の成り行きを見るのに適した、取材映画上映情報がありますのでご紹介をしたいと思います。
■第71回草の実アカデミー
メイン: ドキュメンタリー「『イスラム国』前史」上映 講師:田保寿一氏(上記作品監督)
06年、クルド自治区に入り、拘束されていた反米武装勢力の人たちに田保氏はインタビューした。実は、この人たちの“末裔”が「イスラム国」の人達だ。昨年の10月に映画に纏められた。
◎取材内容について語る田保氏。http://twitcasting.tv/f:100000715942811/movie/134162012
日時: 2月21日(土)1時30分開場 2時開始4時45分終了
場所: 渋谷区穏田区民会館1階集会室 渋谷区神宮前 6-31-5 電話:03-3407-1807
交通: JR原宿駅徒歩6分、東京メトロ明治神宮前駅徒歩2分
資料代:500円(会員無料)
『調べてみよう エネルギーのいま・未来』
槌屋治紀『調べてみよう エネルギーのいま・未来』(岩波ジュニア新書 2003)を読む。
エネルギーの定義に始まり、資源と環境や、太陽エネルギーの有効性、自動車のエネルギー効率など、エネルギー全般について解説を加え、持続可能な社会のあり方に向けて、具体的な技術開発の提案やライフスタイルの改善の必要性を訴える。
技術研究を専門としている著者なので、環境保全の徹底や極端な生活の見直しといった「文系」的なアプローチではなく、燃料電池車やコジェネレーション、モーターのインバーター制御などのエネルギー変換効率の高い技術の開発と、その技術への移行、普及といった「理系」的なアプローチに主眼を置く。また、原子力発電には否定的であり、太陽光発電や中・小規模水力発電、バイオマス発電、風力発電などを普及させていくための技術向上と政策的後押しが必要であると結論づける。
著者は望ましいエネルギー政策として以下の3つのポイントを挙げている。
- エネルギー効率の向上
エネルギー利用効率を上げることは、コスト性能比が大であり、短期間で実現できる。一度実現されたエネルギー効率の向上は、以後有効にはたらき、長期的にひじょうに有利になる。 - 再生可能エネルギーの開発
化石燃料から、二酸化炭素を排出しない再生可能エネルギーのような永続的なエネルギーの利用へ転換していく。 - 移行期には天然ガス
再生可能エネルギーが広く利用可能になるまでは、天然ガスのような環境への負荷の小さいエネルギー源を効率よく利用する。
『小悪魔セックス』
穂花『小悪魔セックス』(ベスト新書 2009)を読む。
元AV女優の穂花さんが、AVでの経験、女性としての体験を生かして、男性を母性で包み込みその気にさせる小悪魔セックスのあり方に始まり、ボディタッチのやり方、前戯のさじ加減、挿入のテクニック、体位を変える際の「間」など、大変細かいディテールまで踏み込んで丁寧に書かれている。男性女性双方に向けて書かれており、お互いがお互いを悦ばせる穂花さんのスタンスが貫かれている。
40過ぎたおっさんには、あまり必要無い話が多かったが、男女のセックス観の違いがよく分かった。
あとがきの中で、著者は次のように述べる。ゴーストの手にしても、なかなか現代社会批評ともなっている奥が深い名文だと思う。
いまの世の中、男の人は大変だと思います。
セックス以外のことでも、常に「勝ち」を求められています。
仕事でも学校でも、私生活でも、勝たなければいけない。
負ければ、どんどん社会の隅に追いやられていきます。
モテる男の人と、モテない男の人がくっきり分かれているのも、こうした格差が原因だと思います。
そして、女の子は女の子で、満足させてもらうのは当たり前みたいな考えを持っていて、満たしてくれなければ、何もかも男の人のせいにしている気がします。
これでは、二人で愉しむセックスなんてできません。
(中略)ちょっとだけでもいいので、試してみてください。女の子が責めること=優しくなることで、男の人もありのままの自分を出せると思うのです。そしたら、お互いに自信が持てるようになるはずです。
小悪魔は悪い女だけど、アゲマンだとも私は思っています。
責められる悦びを覚えた男の人は、反対に「男」を取り戻すのです。
母性的でエッチな「小悪魔」の虜になることで、その女の子を守るために頑張って困難に立ち向かう、といった姿勢が生まれてくるのです。
それはきっと、人生そのものを生き抜く力にもなるはずです。
大げさかもしれないけど、本当にそう思うのです。
〈集会等お知らせ〉
メーリングリストより以下転載します。
★『圧殺の海 沖縄・辺野古』(2015年森の映画社製作109分)横浜上映会のご案内
日時 3月9日(月) 第1回 13時半開場 14時 上映
第2回 18時 開場 18時半上映
会場 横浜市技能文化会館8階802(JR関内駅5分)
料金 1000円 中高生500円
連絡・問合せ 沖縄の自立解放闘争に連帯し反安保を闘う連続講座
http://www7b.biglobe.ne.jp/~okinawa-koza/
後援 基地撤去をめざす県央共闘会議
2014年キネマ旬報文化映画部門の7位に選ばれた話題作の最新版です。辺野古で何が起こっているのか。日本にとって、沖縄とは何か?沖縄にとって、日本とは?多くの人に、見てほしい。
「圧殺の海」横浜上映会へ!
「辺野古を撮り続けて」共同監督 藤本幸久・影山あさ子
私たちが辺野古を撮り続けて、10年になる。この間、「Marines Go Home」と「ラブ沖縄」という2本のドキュメンタリーを世に送り出した。2014年7月1日、辺野古の新基地建設が着工された。沖縄県民は、何度、NOの声をあげたことだろう。あらゆるデモクラシーの手段を尽くして。しかし、ついにその声を日米政府がかえりみることはなかった。 警察・機動隊、海上保安庁を前面に立てて、反対する人たちを力ずくで抑え込みながら、工事をすすめる日本政府。巡視船やゴムボート、特殊警備艇、警戒船など、最大80隻にもなる船が、辺野古の海を埋め尽くす。おじぃやおばぁたちは、「まるで、沖縄戦当時のよう」と言う。海底の調査を地上の作業で代替するというインチキなボーリング調査。海に勝手な制限ラインを設定し、報道機関の船も遠ざけ、連日、幾人ものカヌー隊員を拘束し、排除を続ける「海猿」海上保安官たち。ゲート前でも機動隊は、報道機関も排除し、怪我人を出すほどに猛り狂う。
たたかいは続いている。炎天下の日中も、台風前の雨の中も、ゲート前に座り続ける人びと。両手を広げて工事用のトラックの前に立つおじぃやおばぁたち。カヌーに乗り、体一つで海へこぎ出す人びと。屈しない人たちがいる。8月23日には3600人、9月20日には5500人。辺野古に集まる県民も日増しに増えている。
しかしブイがおかれ、立入禁止と書かれたフロート(浮具)で仕切られ、真黒なゴムボートが浮かぶ物々しいキャンプ・シュワブ沿岸。彼らのゴムボートが走り回る真下に、ジュゴンが海草を食む藻場がある。日本人同士の衝突をよそに、キャンプ・シュワブの浜では米海兵隊の水陸両用戦車が走り回り、フロートの近くで、海兵隊員たちはシュノーケリングに興じている。2014年11月16日、沖縄の人たちは、新基地建設NOを掲げる翁長雄志氏を県知事に選んだ。日本政府は、またしても、沖縄の民意を圧殺しようとするのか。あるいはそうさせないのか。
ここに造られようとしているのは、普天間基地の代替施設、ではない。耐用年数200年、オスプレイ100機、揚陸強襲艦が運用可能な最新鋭の基地だ。この海は、誰のものなのか。安倍政権が目指す「戦争する国」づくりの最前線・辺野古。/私たちは、今日も、そのど真ん中で、カメラを回し続けている。中央メディアが取材に来ない沖縄、地元メディアも排除される辺野古。周到に準備された「無関心の壁」に一穴を穿ちたい。私たちの未来の行方が、封じられ、圧殺される前に。