ポッドキャストで配信されていた、文化系トークラジオLife「國分×古市×速水〜90年代論」(TBSラジオ 2013/11/11)を聞いた。
紀伊国屋サザンシアターで開催された、1973年生まれの速水氏と、1974年生まれの国分氏、1985年生まれの古市氏の3氏が、1980年代末から90年代後半の政治や思想、流行を思うままに語るトークイベントの録音である。小室哲哉やゴーマニズム宣言、ニューアカ、ケータイなど次々と話は広がっていく。
同世代として懐かしさを感じるような話もあったが、イラッとくるような「違和感」の方が多かった。それは、國分氏の「1990年代の自分の周りの学生は、ゴーマニズム宣言を読んで厚生省前のデモに参加し、セクトに絡めとられてしまう「ピュア」な学生か、マルクスを単純に崇拝するだけ、もしくはレーニンを批判するだけの総じて頭の悪い学生が多かった」といった風なニュアンスの発言を聞いて感じた「違和感」である。
これ以上の詳述は止めておこう。
月別アーカイブ: 2013年12月
『そして殺人者は野に放たれる』
第3回新潮ドキュメンタリー賞受賞作、日垣隆『そして殺人者は野に放たれる』(新潮文庫 2003)を読む。
2003年に新潮社より刊行された単行本の文庫化である。刑法39条が拡大的に解釈され、加害者の弁護側だけでなく、検察や司法も、意図的な残忍な殺人ですら無罪もしくは減刑を判じている実態を明らかにしている。
刑法39条は「1.心神喪失者の行為は、罰しない。2.心身耗弱者の行為は、その刑を減軽する。」とあり、元々は心神喪失者や心神耗弱者といった正常な判断ができない人たちの権利を守るための条文である。しかし、精神科医に委ねられた鑑定書がほぼ加害者の更生の可能性を抹殺しない内容となる以上、起訴して無罪判決になると困ってしまう検察や、医学に踏み込めない司法は、安易に心神喪失と正常の間の心神耗弱を持ち出して、刑の減軽を計ることで丸く収めようとする。しかし、そこには被害者や被害者の家族の気持ちは忖度されない。
非常に刺激的なタイトルであるが、重度の精神障害や知的障害の行為については配慮が必要であると明示しつつ、刑法39条を前にして思考停止状態に陥っている司法現場に痛烈な疑問を投げかけている。都合のいい事例ばかりが挙げられているが、刑法39条そのものの欠陥を指摘する熱意はよく伝わってきた。
大学案内研究:東京工芸大学
東京工芸大学のパンフレット(2013年度版)を読む。
昔神奈川県伊勢原市に住んでいた時、本厚木駅を利用していたので、何となく名前は知ってはいたが、実態がよく分からない大学であった。
歴史は意外に古く、1923年日本初の写真学校として、小西六写真工業(現・コニカミノルタ)社長が創設した小西写真専門学校に源を発する。1926年校名を東京写真専門学校に改称し、1950年東京写真短期大学となる。1966年に本厚木駅からバスで15分ほどの場所に写真工学科と印刷工学科の東京写真大学工学部が開設される。当時、高価な工業製品であったカメラの周辺の技術を学ぶ環境が整備されていき、1973年工業化学科、1974年建築学科、1976年電子工学科を増設し、1977年東京工芸大学に改称している。1994年に短大を改組し写真学科、映像学科、デザイン学科を置く芸術学部を開設している。現在はメディ画像学科、生命環境学科、建築学科、コンピュータ応用学科、電子機械学科の5学科で構成される工学部と、写真学科、映像学科、デザイン学科、インタラクティブメディア学科、アニメーション学科、ゲーム学科、マンガ学科で構成される芸術学部の2学部体制である。2009年より中野キャンパスが全面リニューアルし、2015年より芸術学部の3・4年生が学ぶ予定となっている。
辺鄙な場所にあり、入試倍率も芸術学部ゲーム学科以外1倍をやや越える程度だが、ホームページの基本情報で確認したところ、しっかりと定員は確保されている。やはり写真(画像)を中心に、その周辺の工業技術や芸術などを学ぶというオンリーワンな大学理念が評価されているのだろうか。工学部の就職内定率は90.3%であり、ニコンやペンタックス、キャノンといったカメラメーカーへの就職は強い。芸術学部の就職率は61.9%ということであるが、中身はほぼ専門学校である。
大学案内研究:東京理科大学
東京理科大学のパンフレット(2014年度版)を読む。
1881年東京帝大出身の理学士が立ち上げた東京物理学講習所が母体となっており、2011年に創立130周年を迎えた伝統ある学校である。夏目漱石の小説「坊ちゃん」の主人公の出身校ともなっている。1949年に理学部のみの単科大学としてスタートを切り、1960年薬学部を新設、1962年工学部、1967年に理工学部と高度経済成長に歩調を合わせる形で理工系総合大学へと発展している。1987年には1年次に長万部で過ごす基礎工学部が開設され、さらに、同年東京理科大学山口短期大学、1990年東京理科大学諏訪短期大学を開学している。1993年にはバブル景気で浮かれてしまったのか、埼玉県久喜市に経営学部を増設している。
現在では8学部33学科、11研究科31専攻を擁する、一学年4000人弱の日本で一番大きな理工系大学となっている。学部卒業生の約3割が理科大の大学院に進学するため、大学院だけで2500名の学生が在籍している。
2013年には理学部と工学部の一部の学科と基礎工学部と経営学部の2年次以降が学ぶ葛飾キャンパスが開設されている。
東京の理学部・工学部と千葉県野田市の理工学部で住み分けがあるのかと思ったが、理工学部にだけ応用生物科学と土木工学科があるだけで、ほとんど内容は同じである。一つの大学ではあるが、似たような2つの大学があると考えた方が分かりやすい。
経営学部は東京理科大学という看板があるので、定員割れはしていないが、成功しているとは言い難い。実質経営学部だけの単科大学であり、取り立てて特徴もなく、久喜駅からスクールバスで10分という不便な場所にある。大学側は葛飾キャンパスに全面移転を申し入れたのだが、久喜市の方で待ったがかかってしまい、2016年より1年次だけ久喜キャンパスという中途半端な形で落とし所が決まってしまった。理工系の学部増設は軒並み成功したが、この経営学部だけが完全にお荷物の状態となってしまっている。
1学科1ページ構成で、カリキュラム表と研究室一覧が延々と続く総合パンフレットだったので、卒読しただけであるが、研究に没頭する大学の雰囲気というか、学生気質というか、イメージ戦略はよく伝わってきた。
大学案内研究:津田塾大学
津田塾大学のパンフレット(2014年度版)を読む。
大学の沿革が日本史の資料集のような内容で、明治の夜明け前から、昭和の初めまでの60数年を駆け抜けた創立者津田梅子の生涯が歴史の流れと合わせて語られている。津田梅子さんは、1871年満6歳で親元を離れ、日本で初めての女子留学生として、岩倉具視と一緒にアメリカに旅立っている。また2度目の留学では、ヘレン・ケラーを訪ね、ナイチンゲールとも会見をしている。そして1900年に麹町区一番町(現・東京千代田区)に女子英学塾を開校している。1931年に小平市に移転し、1948年に英文科のみの単科大学として出発する。1949年に数学科、1969年に私立大学初の国際関係学科が置かれ、2006年には情報数理科学科を改組して、情報科学科が開設されている。小平という都心から離れた不便な場所にあるにも関わらず、全国から学生が集まり、全学科において倍率も3倍弱を保ち、4学科のみの学芸学部1学部という伝統を貫き通している。学科を問わず、外国語教育、少人数教育、国際教育の3つを重視している。
また、2年次より所属学科を完全に離れて、独自のカリキュラムによって学習を進める「多文化・国際協力」と「メディアスタディーズ」の2つの特別コースが用意されている。希望者多数の場合は選考を行うということであるが、テーマがよく練られており面白そうなコースである。
パンフレットも大学も紹介という以上に、学問の面白さや、学ぶ意義について丁寧に述べられている。各学科のページに「言語とは」「国際関係学とは」「数とは」「人とコンピューターは」と、学科そのものの成り立ちにまで踏み込んで、学ぶ意味を伝えようとする思いが伝わってくる。今まで読んだ中で1、2番を争うほどの読みやすく分かりやすく興味をかき立てる内容である。
海外留学や、大学院進学、就職、教職課程、日本語教員養成と、どれをとっても地に足のついた内容となっている。
キャンパス内に寮もあり、近隣のアパートも安いので勉学に専念するにはうってつけの大学であろう。

