月別アーカイブ: 2012年8月

性犯罪被害者の中絶費用公費負担制度

本日の東京新聞夕刊に、性犯罪被害者の中絶費用の公費負担制度に関する記事が出ていた。2006年度から始まった強姦の被害者に対する人工中絶費用の支給は、国と都道府県が折半して医療費を支給している。31都県では上限を設けずに、初診料や診断書料まで含めた全額が支給され、被害者の経済負担はゼロとなっている。ただし16道府県では支給上限額が設けられている。警察庁では上限の撤廃を求めているが、その上限額も和歌山の17万5000円から山形の9万円までばらつきがある。
性犯罪ましてや妊娠までしてしまう犯罪は被害者の人権を大きく踏みにじるものである。様々なケアが必要であるが、せめて経済的な負担だけはゼロにしてもらいたいものだ。

さらに、記事は性犯罪被害者の現状に詳しい富山市の産婦人科医種部恭子さんの話でまとめられている。種部さんは「現在は原則、性犯罪被害者は警察に被害届を出さなければ経済的な支援を受けられない。(しかし)被害届を出す、出さないにかかわらず、支援する機関を通して公費で医療費を負担するような仕組みが必要だ」と話している。

種部さんは医療機関の立場から、スムーズな被害者支援策を述べている。しかし、被害届を出さないままの支援だと、かえって被害者が泣き寝入りしてしまうことにならないだろうか。こういった事件では加害者未定でも、加害者を追求する意味で被害届をきちんと出す必要がある。その上で被害届を出しやすいような医療機関のサポートや、その後のケアが必要になってくると考える。

今年もトミカ博へ

酷暑の中、家族を連れて幕張で例年開催されている「トミカ博 in TOKYO 〜ぼくらのまちの はたらくクルマ〜」に行ってきた。
高い駐車料金、食事代を払ってへとへとになったが、真ん中の子どもの興奮した表情を見ることができ、親としての満足感を得ることができた。
いよいよ来年あたりは下の次男がトミカデビューを果たしそうだ。




ミニチュアの展示に過ぎないが、男の子にとっては動きと音と振動と匂いのある重厚な世界として目に映っているのであろう。


カーズのコーナーの前で。
著作権使用料はハンパな額ではなかろうが、タカラトミー社の経営判断として、ディズニーキャラクターの商品化は大成功であろう。


巨大なバルーンのTくん。


トミカ組み立て工場の模様。
目の前のトミカを作ってくれるという子どもにとっては夢のようなブースである。トヨタ・マークXやスバル・インプレッサは4、50分待ちであったが、2、30代の若い親には馴染みのないマツダコスモスポーツは15分待ちとなっていた。



トミカの展示に混じって、上掲の本物のクルマ3台も展示されていた。
トヨタの86は、80年代後半のセリカやMR2といったトヨタのスポーツカーの系譜の延長上にあり、安心感があった。
ぴかちゅーカーはミニカーそっくりであった。

本日の東京新聞朝刊から

本日の東京新聞朝刊は読みごたえがあった。
25年続いている恒例の靖国ルポは8月15日の朝から夕方までの靖国神社での動きを伝えている。数年前までは戦争肯定に傾きがちな靖国参拝に反対する活動の様子が記載されていたが今年はなかった。実際に活動がなかったのか、記事にされなかったのかは分からない。一方で、学生や若い社会人の参拝の様子が伝えられ、右派的言論が目立つように思う。
今年6月に尖閣諸島を海上から視察した野田数東京都議は「自民や民主はダメだ。英霊が命をかけて守ってくれた国土だ。靖国と領土問題は切り離せない」と話している。しかし、靖国への参拝と領土問題を簡単に英霊というキーワードで結びつけてしまう短絡的な発想は正直怖いと思う。

また、他の紙面では「日米同盟と原発」と題したシリーズ特集の第1回が掲載され、戦前の幻の原爆製造「ニ号研究」の様子が詳しく報じられている。
当時、原子核物理の第一人者だった理化学研究所の科学者の仁科芳雄氏が開発責任者となり、原爆開発計画が軍主導で進められていた。結局、ウランの濃縮実験やウランの調達に支障が生じ、開発は中止に追い込まれることになった。しかし、その仁科氏の下で学んだ若い門下生らが戦後、「平和利用」と名を変えた戦後の原子力開発の礎となっていった。

原爆というと、日本では被害者のイメージが強いが、加害者として他国に原爆を投下する予定で計画が進んでいたことに驚いた。戦後の原子力開発との流れと合わせて問題を見ていきたい。

対談 澤地久枝さん×松本哉さん

本日の東京新聞朝刊に2面に渡って、作家澤地久枝さんと東京・高円寺でリサイクルショップ店を経営しながらデモをしてきた松本哉(はじめ)さんの2人の日本再生の道筋についての対談が掲載されていた。

自身の戦争責任を踏まえて「九条の会」を呼びかけ、脱原発運動に関わる澤地さんと、1990年代の就職氷河期以降の非正規雇用の増加やネットの普及による本音の触れ合いの場の減少に悩む若者の声を上げる松本さんの二人が、経験こそ違え、閉塞した社会システムや「撤退」の二文字のない政治に対して、一致して個人の生活感を基盤とした素人デモに希望を託している。

旧満州で終戦を迎え、国家から置き去りにされた棄民体験を持つ澤地さんに対して、松本さんは次のように語る。

大学に入ったのは1994年。経済団体が正規雇用を減らし、非正規労働を増やすと言い始めていたころで、就職氷河期です。入社試験を百社受けても、一社もひっかからない人がざらにいました。
大学側も「大学を企業に役立つ人材づくりの場に変える」と言いだした。学生も就職のための点数稼ぎのように、つまらない授業でも真面目に出る。僕は下町育ちでやんちゃでしたから、就職予備校みたいなのは息が詰まって。
幸い、法政大は個性的な人がまだ大勢いて学生運動もあった。自由さが残っていたから、僕も何かやろうと、キャンパスに鍋やこたつを持ち込んで、ばかばかしいノリの大宴会をやったんです。料理やお酒も用意して、学生や先生に「飲んでいきましょう」って声をかけて。めちゃくちゃな人が集まって楽しかったです。
「キャンバスに自由を」とか「大学改革は間違っている」とか、ただ言っているよりも、自由な空間を実際に味わう方が断然説得力があると思いました。

また、原発デモについても、次のように語る。

日本のこれまでのデモは、組合のおじさんが旗を持ってスローガンを叫ぶ、というイメージだったと思いますが、今は、自分の理想とか、生き方とかをデモの中で表現しているんです。
トラックの上でバンド演奏したり、パフォーマンスをしたり。原発反対のゼッケンをつけて黙々と歩く人もいます。怒りたい人は怒って、表現したい人は表現して。そういう自由さが世の中を変える力になる気がするんです。

澤地さんが撤退や熟慮することをせず「大勝」「成長」と突き進み、最後は誰も責任を取ろうとしない政治や社会の「無責任体系」に疑義を呈したところ、それに対して、松本さんは次のように語っている。

これまでの日本には、予定調和の塊みたいなものがあったと思うんです。「この空気を乱していはいけない」という。戦争の時もそうだったんでしょうけど、我慢に我慢を重ねて、みんなひどいことになったんじゃないですか。
かつては、頑張れば経済成長もあったかもしれないけど、それは、自転車操業というか、止まったら倒れるようなやり方だった。金を稼いで消費することが豊かさだとか、相当な競争に勝った人だけが豊かになれるとか。そんな価値観や発想から離れて、これからはもっと自由に生きる方がいい。

そんな松本さんに対して、澤地さんは次のように述べる。

小田さんは60年代に「ベトナムに平和を! 市民連合」という市民運動を起こし、「一人でもやる、一人でもやめる」と言っていました。個人が自分の思いをまとめて行動すること。それが世の中を変えていくと。原発事故を経験した今の日本人に訴えかけてくるようです。松本さんの自由な発想とか行動って、少し、小田さんに似ているような気がします。

最後に松本さんは次のように語っている。

脱原発に揺れている人は大勢います。原発は危ないと心配しながらも、脱原発の生活が見えないから、原発の推進側に取り込まれてしまう。だからこそ、僕らは安心して子どもを育てられて、老後も不安のない、持続可能な生き方をやる。そんな生き方が世の中で大きく見えてきたら、揺れてる人も脱原発に傾いてくるんじゃないですか。有象無象がガチャガチャと、何回でもデモをやんなくちゃいけない。そういう時代です。

『ラブホテル裏物語』

大月京子『ラブホテル裏物語:女性従業員が見た「密室の中の愛」』(文春文庫 2010)を気晴らしに読む。
タイトルの通り、ラブホテル業界で20年働いてきた著者が、ラブホテルの珍事件や困ったお客、使用後の部屋の掃除のコツ、忘れ物やコスプレ、さらには昭和の時代のラブホテル事情など丁寧に語っている。

ラブホテルというと一般的にいかがわしいイメージがあるが、裸の男女(男男、女女も含む)が密室にこもるという特殊状況において、人間の感情の機微や隠している趣味などが露になる