岡堂哲雄『心理テスト:人間性の謎への挑戦』(講談社現代新書 1994)を読む。
質問紙法、投影法、問答法と様々な形式で行われる知能テストや性格テストを分かりやすく解説した入門書である。これまで懸命に暗記していた心理テストの全体像がつかめるようになった。筆者はいかがわしい性格テストや占いが横行している社会に対して次のように警告を発する。得てして精神障害者差別に対する反論としては、障害者も健常者も同じだという根拠の薄い道徳的な論陣が張られるが、科学的な根拠や数字を示すことで差別に対峙しようとする著者の姿勢は科学者として大変評価できるものである。
わが国でも、普通の人々が理解できない奇妙な言動をする人をたとえば、「狐つき」と呼び、座敷牢にいれて隔離した。また、松葉を焚いて、狐をいぶし出そうとした。このような事件は、第二次世界大戦後も地方ではしばらく続いたことを忘れてはなるまい。
ほぼ単一民族であった日本では、もともと人並みであること、普通であることが大切であって、ものの見方・考え方が並はずれて独創的な人は「変わりもの」として畏怖され、村八分などの形でグループから排除されたものである。明治以後の急速な西欧化のなかで、大和民族の優越性のイデオロギーがアジアの他民族に対する偏見と相まって、科学的で客観的に人間を理解しようとする心理学、とくに心理テストの発展をいちじるしく妨げてきた。第二次世界大戦後においてもたびたび社会的な問題となった知能検査,IQ(知能指数)、偏差値などに対する感情的な非難のなかには、個体の独自性や個性の重視よりも「みんな一緒」主義的な傾向を暗示しているものがある。
ある時代・文化に特有の「心の健康」に関する基準あるいは特定の宗教やイデオロギーの指導者による異常性の判定は、往々にして非科学的で、客観的な根拠なしのきめつけであることが少なくない。しかも、その判定の裁可によって精神障害者や家族が社会的に差別されたり、心理的に疎外されることが繰り返されてきている事実に注目しなければならない。
心理テストは、このような理不尽な差別に対する科学的な批判を基本的視点とし、可能な限り客観的で信頼できる妥当な「正常と異常」の判定基準を求めて開発されてきたものである。これまで、発展途上であるゆえの錯誤や偏見が時には心理テストを誤解させ、人々を困惑させることもままあった。本書では、知能検査・性格検査を中心に心理テストの考え方、その効用と限界等について述べることにしたい。
1938年にニューヨーク大学の臨床心理士ウェクスラーが発表したウェクスラー式のIQテストが知能テストとしては世界的に有名である。この検査法は単語や数唱、理解といった言語性尺度と絵画配列や積木模様、組み合わせといった動作性尺度の二面性からIQをトータルに測るものである。
日本版WAISーRの知能水準の分類は以下の通りである。きれいに上位10%が「天才」とカテゴライズされ、下位10%が精神遅滞と疑われるラインに分類されている。その割合がほぼ同じだとはオドロキであった。ちなみにこの知能テストの境界線上に位置するIQ70~79の者の割合6.3%は、文科省が「今後の特別支援教育の在り方について」の答申で出した、普通学級に所属するADHD、LD、高機能自閉症児の在籍率の推定割合6.3%と全く同じである。上位10%の勉強が出来る者には注目が集まるし、配慮もなされるが、下位10%の学習困難な者に対していかに教育的なニーズを把握し、その持てる力を発揮できるか、今後の教育改革の大きな焦点になっていくであろう。
IQ
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知能水準
|
サンプルの割合(%)
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130以上
120~129
110~119
90~109
80~89
70~79
69以下
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非常に優れている
優れている
平均の上
平均
平均の下
境界線
精神遅滞
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2.0
7.2
17.1
49.3
15.7
6.3
2.4
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