『職業としての学問』

マックス・ウェーバー『職業としての学問』(岩波新書 1936 尾高邦雄訳)を読み返す。
マックス・ウェーバーが1919年1月にミュンヘンで行った講演録である。学問の世界で食っていこうとする若い大学講師に仕事への専心を説く内容となっている。

予言者は煽動家に向かっては普通「街頭に出て、公衆に説け」といわれる。というのは、つまりそこでは批判が可能だからである。これに反して、かれの批判者ではなくかれの傾聴者にだけ面して立つ教室では、予言者や扇動家としてのかれは沈黙し、これにかわって教師としてのかれが語るのでなければならない。もし教師たるものがこうした事情、つまり学生たちが定められた課程を修了するためにはかれの講義に出席しなければならないということや、また教室には批判者の目をもってかれにたいするなんびともいないということなどを利用して、それが教師の使命であるにもかかわらず、自分の知識や学問上の経験を聴講者に役立たせるかわりに、自分の政治的見解をかれらに押しつけようとしたならば、わたくしはそれは教師として無責任きわまることだと思う。

近年大学でも就職率や学生の生活指導など、教育的側面が強くなってきて、学生の興味を懸命に喚起しながら学問を「教える」ということに腐心している。しかし、大学で教壇に立つ者は、本来は学問に対して謙虚であらねばならず、学問を使って学生を何とかしようなどとするのは身分不相応であるとウェーバーは述べる。学生時代に読んだときは教室を無風な空間としようとするウェーバーの意見に違和感を覚えていたが、学問に対して敬虔であれとする忠告は少し分かるようになってきた。

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