水道橋博士『水道橋博士の異常な愛情』(青心社)を気晴らしに読む。
作者の水道橋博士とはたけし軍団の浅草キッドの一人である。
雑誌「熱烈投稿」(コアマガジン社刊)に掲載されていた「ちんちん日記」というコラムをまとめたものであり、表題通り彼の風俗体験が面白おかしく書かれている.
その中で浅草キッドとアダルトビデオ女優の南智子との対談が面白かった。南智子さんはアダルトビデオの代々木忠監督作品に多数出演し、女性が男性の上になり、男性をいかせる『性感Xテクニック』という男女の倒錯した絡みを得意としている。
彼女のセックス観を通して、「抱く性=男、抱かれる性=女」という枠組みを一度壊して見ることから、性に対して必要以上に自己規制にとらわれている女性の姿や、女性を「いかせる」義務感にかられている男性の姿がかいま見えてくる。その南智子の次の発言が印象的だった。
昔、ゲイの友達に「どうしてキミは異性が好きか考えたことがある?」って聞かれてすごいカルチャーショックを受けたことがある。だってそういうもんだから、としか答えられなくて、答えられない自分がバカだな、と思ったの。で「僕は、なぜ同性が好きかって事を考えない日はなかった」って。でも、同性愛の人は果たして自分が、どういうセクシュアルアイデンティティによって異性が好きなのか、って考えたことがあるのか、それを語れる人がいるのか、って言われたときに全然「エッ、だってそういうもんだから」としか言えなかったの。
同性愛の問題について、私は生物学的もしくは法的社会生活の側面からしか考えてなかったので、私自身上記の文章を読んではっとした。テレビのバラエティー番組ではゲイを面白おかしく奇異な存在として取り上げている。しかし実は同性愛者の事例を考えることで、改めて異性愛の実相について考察することができるのだ。