今「20世紀の名言」というメールマガジンをとっている。明日に始業式を控え、ここしばらく、魅力ある授業をどう作ればよいのかと考えていた。○×式の受験テクニックではない、「答えのない授業」について考えてみたが、どうもこれといった結論が出ない。そのような悶々とした中で、今日配信されたメールの名言は印象的だった。
教師の側から知識を授けるよりもまず知識を
もとめる動機を子どもたちがもつような学校が、真の学校である。
デューイ (アメリカの哲学者)
言われてみれば当たり前のことであるが、現場で具体的にどう実践していくかというのは難しい。短期的には子供たちの興味を引き伸ばしていく授業は出来ても、それを継続していくことは教員の側の負担も大きい。国語教育においても、本に書かれている事柄を解説することは簡単だが、では子供たちに読書の面白さを伝えるにはどうすればよいのだろうか。はたと考え込んでしまう。先日の公明党による「こども読書推進法案」のように法案を作るのは簡単だが、インターネットや携帯電話がすっかり普及した現在、多少の忍耐力を要する読書に目を向けさせることは難しい。むしろ教科書会社からもらう「指導書」に沿って一方的に授業展開する方がよっぽど手が抜けてよい。そもそもそうした授業に馴らされた、自分の意のままに動き、飲み込みが早く、かつ反論をしない生徒が教員にとって一番楽なのだ。意図しないような反応、意に沿わない答えを持ってくる生徒は教員にとってうとましい存在になる。読書一つを巡っても、まさに教員の側の度量が問われるであろう。