読書」カテゴリーアーカイブ

『さみしい男』

諸富祥彦『さみしい男』(2002 ちくま新書)を読む。
著者の専門であるカウンセリングの立場から、プライドやコミュニケーション能力不足から生きづらさを自他ともに感じることの多い男の生き方を分析する。執筆当時、著者は40手前であり、職場でも家庭でも窮屈さを感じてしまうアラフォー前後の男の気持ちを上手く代弁していた。
あとがきの中で著者は次のように述べる。

これからの時代に待望される「強い男」、ポスト「脱力主義」時代の「強い男」は、「自分に正直」であることを何より大切にし、しっかりした「自分」を持った、いい意味での「個人主義」に徹する男。自分を大切にしているがゆえに、他者をも大切にできる。そんな「自然体のまじめさ、誠実さ」を備えた男が、「強い男」なのです。そしてそうあるためには、(中略)孤独である力、ひとりになり自分と向き合う力を持った男であることが求められるでしょう。

『マゼンタ100』

第1回女による女のためのR-18文学賞大賞受賞作、日向蓬『マゼンタ100』(角川文庫 2006)を読む。
女性向けの「官能小説」なのだが、ドギツイ濡れ場の描写は少なく、大人の恋愛小説となっている。表題作の他、連作4編が収められている。
恋愛=体の関係を意識する女性の心理が上手く描かれていた。しかし、中年オヤジの私が読んでも共感できる部分は少なかった。

『ん』

山口謠司『ん:日本語最後の謎に挑む』(新潮新書 2010)を読む。
「n」と「m」の違いから始まり、「ん」という文字の起源や空海が学んだサンスクリット語との関係、「ん」の発音の変遷などが語られる。『万葉集』や『土佐日記』などの用例を用いながら分かりやすく説明されている。しかし、大学時代のつまらない国語学の先生の語り口が思い出され、苦手意識が先走ってしまい、あまり楽しむことができなかった。

『逃亡くそたわけ』

絲山秋子『逃亡くそたわけ』(中央公論新社 2005)を読む。
精神病院を抜け出し、途中、幻聴や幻覚、自殺企図と闘いながら(付き合いながら)、博多から九州の山中をドライブし鹿児島の開聞岳に至るロードノベルである。
パソコンでグーグルマップをスクロールさせながら、博多→甘木→小石原村→中津市→国東半島→富貴寺→竹田市→阿蘇山→高森→椎葉村→田代八重ダム→小林市→宮崎市→鹿児島→指宿→知林ヶ島→長崎→長崎鼻と、主人公と一緒に旅を楽しんだ。グーグルマップには航空写真やストリートビューもあるので、活字だけを追って想像力を働かせる読みとは別の楽しみを味わうことができた。
そういえば、昔、島根県と広島県の県境辺りのページを片手に、松本清張の『砂の器』だったかを読んだことを懐かしく思い出した。

『ドラえもん学』

横山泰行『ドラえもん学』(PHP新書 2005)を読む。
先日、娘と一緒にドラえもんの映画を観てから、20数年ぶりにドラえもんが気になり始め、手に取ってみた。
著者の横山氏は富山大学教育学部の教授を務めており、裏話やマニア的な視点で論じるのではなく、一応「学問」としてドラえもんを論じている。

第1章「ドラえもんの来た道」では、1969年の「ドラえもん」の誕生から、小学館の学年誌の連載、アニメの放映、そして作者が体調を崩した1986年以降の執筆までがし詳細に論じられている。特に1970年から1986年半ばまで(「小学5・6年生」は1973年半ばから)、十数年にわたり「小学1年生」から「小学6年生」の全学年誌に毎月異なる作品を発表していたことは初めて知る事実であった。藤子・F・不二雄氏は短編長編合わせて1345話もの作品を手がけている。
第2章「『マンガ世紀』のドラエもん」では、日本の経済成長、海外進出と漫画文化の相関性や、海外での「ドラえもん」受容のされ方について論じられている。
第3章「あらすじで読むドラえもん」では、ドラえもんを象徴するようなのび太の結婚やジャイアンのリサイタルショー、スネ夫の性格やしずかちゃんの心根について描かれた作品が、タイトル通りあらすじで紹介されている。

私自身が30年前に読んだマンガの記憶がよみがえってきて、少しうるっときたところもあった。そういえば、私はドラえもんのマンガを全巻揃え、秘密道具大事典の細かいエピソードまで記憶するような少年だったのだ。