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『世界を動かす海賊』

竹田いさみ『世界を動かす海賊』(ちくま新書 2013)を読む。
日本人にとって、海賊というのはいまいち分かりにくいものである。漫画やアニメの印象が強く、時代かかった輩というイメージが強い。

2011年を例にとると、全世界で発生している海賊事件の約54%(240件)がソマリア周辺海域で発生している。海賊に襲撃され乗っ取られた船舶は28隻で、海賊の人質にあった抑留乗組員は470人の上る。
ソマリアは内戦により、無政府状態が長く続き、沿岸警備や国境警備などが手薄になっており、海賊がソマリア海沖の警備役を買って出るようになった。さらに中国製の武器が氾濫するようになり、武装化した海賊が跋扈したという経緯がある。当時の状況を著者は次のように語る。

こうしたソマリアの現状を悪用して、国際犯罪シンジケートが結成され、アフガニスタンーパキスタン周辺国ーソマリアを結ぶ一大密輸ルートが出来上がったと考えられる。具体的には世界最大の麻薬生産国アフガニスタンから、大量の麻薬が陸路で隣国パキスタンや周辺国に運ばれ、ダウ船や貨物船で積み出されたと、英国のBBCニュースは伝えた。同様にパキスタン国内で大量に生産される自動小銃などの小型武器も、海外に密輸された。当時、南アジア諸国の港湾管理は甘いことで夙に有名で、麻薬や小型武器の密輸は日常茶飯事。ここから貨物船で麻薬や小型武器を積み込んだ貨物船は、アラビア海からアデン湾周辺を経由してソマリアに辿り着く。南アジアからソマリアへと、眼には見えない密輸ルートが走っている。これらの密輸に加担していたのも、ソマリア沿岸で外国漁船を摘発していた、プントランドの自称コーストガード関係者であった可能性が高い。

著者は、海賊が武装化している以上、インド洋を横断する船も武装化した警備員を同乗させた方が良いと述べる。幸い、ソマリア海沿岸の海賊に対しては、国連安保理の一致した決議もあり、日本も海上自衛隊を派遣しており、ここ数年で海賊行為は激減している。海賊行為について厳密に定義し、それに対して国連の決議に基づいて行動するのであれば、大きな問題はないと考える。政治判断を行う際は、何事につけてもその対象を厳密に分析することが大事である。

『16歳だった』

中山美里『16歳だった:私の援助交際記』(幻冬舎 2005)を読む。
タイトルに惹かれて手に取ってみた。著者は現在フリーライターとして活躍している。エンコーだけでなく、レイプ、乱交、ガンジャ(大麻)や覚醒剤を吸うシーンまであり、一時期流行ったケータイ小説のような展開で、実際の体験記なのか、全くのフィクションなのか、よく分からない作品となっている。最後は太宰の「人間失格」のように、廃人みたいになり、再び家族という鞘に収まっていく。

気になったところを引用しておきたい。

(援交に慣れてきて)男のジャンルも覚えた。女馴れしていて女子高生にも興味のある男、まったくもてそうにないロリコン好きのいわゆるオタク。だいたいそれのどっちかだ。(中略)ロリコン好きは女子高生の記号にこだわる。セーラー服や鞄。髪の毛の色。ルーズソックス。

あたしは援交と名のついた売春をしたくてしたくてたまらなかった。あたしの体がお金になる売春。触れたくもない相手とセックスをして、お金をもらう。それは高ければ高いほどいい。その相手が同情できないくらい醜くて、値段が高いほど、あたしは嬉しかった。
あたしは援交オヤジとたいして変わらない。
もてない男が高いお金を払って若い女の子とセックスをする。なんのサービスもしてくれない。技術もない女子高生を喜んで買う。自分がこんなにお金があるから若い子とセックスできるとオヤジが喜ぶように、あたしはあたしで最低価格五万円というお金で自信のない自分に価値を見いだした。あたしは少なくとも五万円払う価値のある女なんだと。あたしは、醜い相手から高い対価を奪うようにもらうことに悦びを感じたのだ。

記号としての女子高生や性のブランド化など、1990年代後半の宮台真司を思い出させるセリフである。

『自分のことだけ考える。』

堀江貴文『自分のことだけ考える。:無駄なものにふりまわされないメンタル術』(ポプラ新書 2018)を読む。

大変面白かった。彼自身の人生哲学が素直に語られている。タイトルに「自分のことだけ」とあるが、最後の章題は「他者を巻き込んで生きていく」とあるように、決して自分勝手とか、自己中心的な考え方ではない。恥をかくことをおそれ消極的になったり、いつまでも過去の失敗にくよくよしていたり、他人にとやかく言われることを事前に予想して行動を制限することの馬鹿らしさを力説する。著者は冒頭で次のように述べる。

自分が「正しい」と信じることを、やるしかない。
自分が「必要だ」と感じるものを、手に入れるしかない。
自分が「後悔しない」と言える、好きな道を行くしかない。
自分が「こうだ!」と決めたことを、努力し続けていくしかない。

もちろんその結果、失敗するかもしれない。
もしかすると、誰かに裏切られるかもしれない。
さらに言えば、大きな損失を負う羽目になるかもしれない。

でも、それは、自分の責任だし、失敗したってそのとき反省して、また自分を信じて真剣にやるだけだ。(中略)

でもほとんどの人は、まるで反射のように「できない言い訳」を考えてしまう。(中略)
本書にはそうした「思い込み」「常識」「言い訳」などを振り払って、今すぐ前に進んでほしいという願いを込めた。(中略)
自分のやりたいことにブレーキをかけてしまっている人が、まずは常識、考え方を変えるきっかけにしてほしい。

それに、現代を生きていると、本当に「無駄なもの」が多い。
無駄なものは、僕たちから時間や気力などの大事な資源を奪っていく。
それが現代社会の不合理なところだ。

だからあなたには、そんなものをうまく遠ざけて、心をフラットにして生きてほしい。たとえば「他人の正義感」「妬み嫉み」「感情論」「慣習」「駆け引き」「嘘」……。
これらにふりまわされて時間を浪費するほど愚かなことはない。僕にも、そしてあなたにも、そんな時間はないはずだ。(中略)

チャレンジしようとする者には、必ず批判する者がいる。
常識を打ち破ろうとする者には、必ず抵抗勢力が現れる。
そして、目立つ者は、多かれ少なかれ必ず叩かれる。

本書で印象に残った部分を引用しておきたい。

「何だよ!」なんて言って斜に構えていると、自分のほうが立場が上になったように錯覚するから、気はラクになるかもしれない。でも、それで得することなんて何もないのだ。(中略)
斜に構えた段階で、その人はもう「負け」。
自分にできないことをやっている人を見て、嫉妬したら「負け」。
何事も学びのチャンスだと思い、自分に取り入れられることを見つけたほうがいい。
人の成功に嫉妬することの無意味さを、肝に銘じてほしい。

学校の弊害の一つに「いじめ」がある。毎日、同じ先生、同じ生徒で同じ教室に集まって、画一的な授業を受けていると、いじめをする人間が現れる。
いじめに、特に理由なんてない。毎日、好きでもないのに狭い教室に閉じ込められていると、「あいつ、ちょっと変だな」と思った途端、いじめたい衝動に駆られる馬鹿なやつが出てくる。
こういうものは全世界であることで、いじめを完全になくすということはできないと思う。だから、いじめはなくすのではなく減らすという方向で考えたほうがいい。では、どうすればよいか。
答えは簡単。いじめられそうになったら受け流したり逃げたりすることだ。

『スクラップ・アンド・ビルド』

第153回芥川賞受賞作、羽田圭介『スクラップ・アンド・ビルド』(文藝春秋 2015)を読む。
要介護認定を受けている祖父と、その祖父の尊厳死を狙って消極的な殺人に勤しむ20代後半の孫との交流を描く。入退院を繰り返し今際の際でジタバタする祖父と、筋トレに励み見事再就職を果たし成長していく孫の姿との鮮やかな対比がテーマとなっている。

作者はバラエティ番組にも度々登場するが、作者自身の心境小説のような雰囲気の作品であった。

『禅的生活』

玄侑宗久『禅的生活』(ちくま新書 2003)を読む。
著者は臨済宗の僧侶であり、「犬に仏性はありますか?」「片手の拍手の音」といった有名な公案の背景にある禅の教えについて語る。

ざっくりとまとめると、臨済宗・曹洞宗・黄檗宗などの禅宗では、人間は成長するにつれて、行動や考え方に偏見や先入観、予想などが入ってきてしまい、本当の姿や真理を素直に見ることができなくなってしまうと考える。そこで、禅の修行を通じて、心を無にすることで、自分や他人、社会を素直に見つめるように、自分を高めていくこと(悟り)が肝要だと教える。

著者はそうした悟りに近づくために、克服しなければならない煩悩について、次のようにまとめている。禅宗の教えであるが、日常生活にも必要なことである。

  1. 全体視機能(イッショクタに見ちゃう)
    「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」といったように、一部と全体を曲解すること。
  2. 還元視機能(細部ばかり気にする)
    「重箱の隅をつつく」ように、「木を見て森を見ず」の状態。
  3. 抽象機能(観念に溺れて具体を見ない)
    具体的な事物に向き合い「そのもの」を見ずに、言葉で分かったつもりになってしまうこと。
  4. 定量機能(数えたり計ったりして、もっと欲しがる)
    分かりやすく「多い」「少ない」と数で比較してしまうこと。
  5. 因果特定機能(ご褒美を期待しちゃう)
    これこれをしたからこうなるはずだと、「物語」化してしまうこと。
  6. 二項対立判断機能(つい比べちゃう)
    複雑な世界を「上」「下」、「内」「外」などの一対の概念で、安易に理解しようとすること。
  7. 実存認知機能(大袈裟に考えたり簡単にあきらめたりする)
    様々な感覚情報や見地に最終的に現実感や存在感を与えること。
  8. 情緒的価値判断機能(感情にとらわれる)
    これまでの7つ全てに該当することだが、人間の喜怒哀楽や欲望、生きることへの執念といった、人間らしさそのものが正しい見方を曇らせてしまうこと。

禅の教えに、「日々是好日」という言葉がある。これは日々煩悩を捨て去って、今日は昨日との連続ではなく、毎日が新鮮であり、「永遠のような今」であるという、禅宗の悟りを表したものである。

本書で気になったところを引用しておきたい。

面壁九年という説話はご存知の方も多いだろう。日本では嵩山で九年も座りっぱなしだったので手足が無くなってしまったというまことしやかな話から、ご存知のダルマが作られる。また何度も毒殺の危機に遭い、七回目で亡くなったと思いきや、お墓に靴を片方残したまま甦ったとされるため「七転び八起き」という諺まで生まれる。しかし、達磨さんは少林寺拳法の開祖として祀られることからも判るように、手足がないというのは日本だけでの話である。もし本当に手足がなかったとすれば日本にだって来れないではないか。だから面壁九年というのも、数えきれないくらいの年月という意味であることに注意しなくてはならない。

「ズボラ」という言葉、じつは「坊主」を逆さまにした「主坊」の複数形だって、ご存知だろうか。つまり坊主にあるまじき人々という意味なのである。