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『危ない大学・消える大学 2015年版』

島野清志『危ない大学・消える大学 2015年版』(エール出版 2014)を読む。
まだ、私学の定員厳格化が議論される前のもので、当時最高学府のかけ離れた底辺大学生が在籍する、いわゆる「Fランク大学」や学校法人の財政状況が逼迫している「Nランク大学」の実情が詳細に記されている。

但し、実際にその学校に訪れて大学の雰囲気や学生気質を調査したものではなく、大学のホームページや会社四季報、大学受験案内などを参照して書かれたもので、著者の教育にかける思いよりも、目を引くタイトルや題材で読者の関心を引こうとするネット記事のような体裁であった。

『救出』

木暮正夫『救出:日本・トルコ友情のドラマ』(アリス館 2003)を読む。
1890年に和歌山県串本の熊野灘で座礁したトルコのエルトゥールル号の救出劇を描いた絵本である。小学生向けなのだが、それにしても淡々と事実を描写するだけで、物語として駄作の一言だけ。

ぼろぼろの軍艦ではるか日本まで航海せざるを得なかった背景に、ロシアとの軋轢で弱体化しつつあるオスマン帝国の国情が伺えて、歴史の一面という意味では面白かった。

『美味づくし』

新藤朝陽『美味づくし』(双葉文庫 2016)を半分ほど読む。ワンパターンなエロスシーンの繰り返しに食傷気味となった。

『「作家の値うち」の使い方』

福田和也『「作家の値うち」の使い方』(飛鳥新社 2000)を読む。
著者の上梓した小説ミシュランガイドの『作家の値うち』の反響に対する文章や講演、インタビューなどの後日談が収録されている。

『作家〜』はあまり面白くなかったが、こちらの解説本の方が著者の文学のあり方について分かりやすく述べられていて面白かった。

まず福田氏は、『作家〜』に収録された700冊あまりの小説の価値を判断する基準として次のように述べる。

やっぱりバルザック、スタンダール、ディケンズあたりに成立して、せいぜいフロベールまでが継承した”近代社会の中の、相互了解が困難な人間関係の中に起きる大きなうねり”が基本なんです。

そして、とりわけ売れなくても良しとする風潮に甘え、切磋琢磨することの少ない純文学については手厳しい。

(前略)その他の人々の純文学に関わる問いのすべてが、結局は安全地帯の中でしか行われていないように思われるのは、そうした根本的な問いがもたらすはずの過剰なもの、あるいは自己破壊的なスリルがまったくないからである。自らを成立させている基盤まで掘り崩していく問いの過激さは、作品においてきわめて明らかな過剰さを生み出すはずであるのに(後略)

最後に著者は次のように述べる。妙に納得してしまった。

これはよく云われることですけど、『ノルウェイの森』は要するに、漱石の『こゝろ』と同じで、近代文学の三点セット、すなわち「三角関係」と「自殺」と「孤独」という問題を、全部含んでいて、そういう意味では、非常に古典的な、しっかりした近代小説になっている。村上春樹の場合は、小説の構造自体は近代的なんです。

『作家の値うち』

福田和也『作家の値うち』(飛鳥新社 2000)をパラパラと読む。
存命のエンターテイメント作家50人と純文学作家50人の作品を取り上げ、全てに作品に100点満点で点数を付けるという大胆な評論集である。
最高点96点は古井由吉『仮往生伝試文』と村上春樹『ねじまき鳥のクロニクル』、石原慎太郎『わが人生の時の時』の3作品が挙げられている。

何百冊の作品の全てを読み、純文学にもエンターテイメントにも偏ることなく、小説の持つ力について平等に採点をした労作なのだが、その評価は分かれるところであろう。

小林多喜二や中野重治の作品が持っていた可能性を受け継いだ作家として金石範を高く評価していたのが印象に残った。