読書」カテゴリーアーカイブ

『ヒマラヤペダル越え』

深町達也『ヒマラヤペダル越え』(文藝春秋 1989)を読む。
刊行当時慶応大学の学生であった著者が、チベットのラサからネパールのカトマンズまで自転車で走り抜いた冒険旅行記である。ヒッチハイクも入れながら、チョモランマのベースキャンプにも立ち寄っている。グーグルマップで調べたところ、約1000kmの道のりで、獲得標高が40000mというとんでもない数字が表示された。当時は舗装もされておらず、さぞ苦しい旅であったろうと推察される。

現在と同じく、中国の人民解放軍が市中を闊歩し、ダライ・ラマ14世はインドへ亡命しているが、まだ旅行での端々にチベットならでは独自の文化が感じられる。本人の手によるものなのか、出版社の手がかなり入ったのか分からないが、自転車での冒険よりも、内面の感動の表現に力が入るポエム的な要素もあり、その点はさらっと読み飛ばした。

ダウンヒルは、何といってもサイクリングの最大の楽しみだ。もちろんヒルクライムも充実感をともなう楽しみのひとつである。峠を征服する成就感だけでなく「登る」という作業自体にも生産的な楽しみを感じるときがある。だが、これは「勤労」の喜びだ。ストイックな心だ。
それに引き換え、ダウンヒルではすべてが逆転する。これこそ、いままで必死に貯めてきた「財産」を蕩尽する瞬間だ。刹那の快楽だ。本能の解放だ。価値の破壊だ。

東海道珍道中(最終日)

朝起きてニュースを見ると、数十年の一度の大雨に警戒と喧伝していたので、進むのも留まるのも得策ではないと判断し、たった3日目にして撤収。
空を見上げると、どんよりとした曇り空で、ふと芥川龍之介の『羅生門』にある「門の屋根が、斜めに突き出した甍の先に、重たく薄暗い雲を支えている」の一節を思い出す。
すぐに帰るのも勿体無かったので、三島駅前でレンタカーを借りて、自転車を回収し、富士山までドライブをした。しかし、富士スバルライン五合目は、マイカー規制で全面通行止めとなっていたので、御殿場口新五合目という寂れた駐車場に車を停める。しかし、あまりに寒く、こちらもすぐに撤収。
結局、はま寿司で食事をし、ブックオフでポケモンカードを物色しただけで、いつもの日曜日と変わらない行動パターン。

三島駅から新幹線で帰ってきた。これまでモンベルの横型の輪行袋を愛用していたが、横型は長さがあるので、新幹線の3列シートの荷物置き場にしか置くことができない。一方、縦型はこれまで面倒くさいと思っていたが、肩に担いだ時にバランスが良く、新幹線の2列シートのところにもすっぽりと収めることができたので、使い勝手が良かった。今後は縦型をオススメしたい。
身長130センチ台の下の子が自転車を担ぐ練習を全くしておらず、お父さんが2台の自転車を担いで駅構内を歩く羽目になった。一人の時は面倒に感じるが、父親としての責任感を感じているのかしまのか、普段以上の力が出て、映画版クレヨンしんちゃんに登場する野原ひろしになった気分である。

『トレンディなんてぶっとばせ』

平松茂『トレンディなんてぶっとばせ:自分に恥じない生き方のすすめ』(岩波ジュニア新書 1991)をパラパラと読む。
執筆当時時事通信社で専門学校についての記事を書き、実際に専門学校の教壇にも立っていた著者が、大学や短大に無目的に進む生き方ではなく、専門学校で自分の道を切り拓く若者を取り上げ、返す刀で学歴や肩書のみを重視する日本の世相に斬りかかる。

しかし、専門学校の紹介なのか、敢えてマイナーな生き方を目指す若者への讃歌なのか、コンセプトがはっきりせず、当時流行ったカウンターカルチャーな物言いに留まっている。

『ものの始まり50話』

近藤二郎『ものの始まり50話:文明の源をさぐる』(岩波ジュニア新書 1992)をパラパラと読む。
著者は執筆当時、早稲田大学古代エジプト調査室に勤務しており、現在も早稲田で教鞭を取っている研究者である。その著者がパンやチーズに始まり、貨幣や暦、マンガ、トランペットなど、50の物や仕組みを取り上げ、そのルーツの多くが古代エジプトにあるとする講釈が滔滔と続く。日本や中国で発展したと思われる文物が、実は古代エジプト文明やメソポタミア文明、インダス文明に既に見受けられるのだという一辺倒な切り口なので、最初の3つくらい読んで飽きてしまった。ページを繰りながら、「我田引水」ということわざが忘却の淵から浮かび上がってきた。

『わたしの少女時代』

池田理代子・宮城まり子・石垣綾子ほか『私の少女時代』(岩波ジュニア新書 1979)をパラパラと読む。
代表著者3名の他、今井通子さん、黒沼ユリ子さん、増井光子さん、中川李枝子さん、林京子さん、土井たか子さん、石井ふく子さん、籾山政子さん、丸木俊さん、沢村貞子さんの計13名の女性が、戦前戦後の不遇な女性という境遇やガラス天井を打ち破って、夢や目標を実現してきた過去半生を語る。

特に疾病と気候や地理の関係を研究した籾山政子さんの文章が印象に残った。「女性のくせに生意気な」という旧態な風潮が残る学会の中で、さらに「地理好き」というマイナーな路線を突っ走ってきたきっかけが、立正大学の地理学講習会であったそうだ。かつて高等師範部を設けていた立正大学の歴史を感じた。