投稿者「heavysnow」のアーカイブ

『わが憎しみのイカロス』

五木寛之著短編集『わが憎しみのイカロス』(文春文庫 1977)を読み返す。
五木氏が一度目の断筆宣言(72年4月〜74年9月)をする直前の作品を集めたものであり、内ゲバや学生運動から離れたにも関わらず、会社組織に身の置き場のない青年サラリーマンの悩みがうまく描かれていた。

昨日の休日はあいにくの雨天にも関わらず、中央自動車道をすっ飛ばして、山梨の御坂峠にある天下茶屋へ出掛けた。曇天と雨と濃霧で富士山の御姿は全く見ることが出来なかった。太宰治の「富嶽百景」を真似て、富士でも見てここしばらくの生活を省察しようとする試みはあえなく失敗に終わった。

mac@dentist

今日は歯の治療のため、横浜の外れの実家近くの歯医者に行った。
連休初日の土曜日ということもあってか、春日部から青葉台までバイクで3時間近くかかってしまった。約3年ぶりの歯医者であったが、相変わらず歯を削られるというのは嫌なものである。
ふと周りを見渡すと、診察台に脇にマックが置いてあったのにはびっくりした。歯医者さん用のソフトが入っていて、デジカメで撮影した口内の様子をすぐ画面上で確認することが出来た。家に居ながらデジカメで撮影した歯の様子をネットで送り、診察してもらうという近未来的な時代ももう間近に来ているのだろう。

『男だけの世界』

五木寛之『男だけの世界』(中公文庫 1973)を読み直す。
三十歳を過ぎたばかりの男が仕事の中で悪戦苦闘する話である。高校時代には何気なく読み捨てていた本であったが、この歳になって読むといろいろと考える場面も多かった。1968年から数年を経て、社会全体が情報化、管理化、緻密化していく中で、一匹狼的な人間が「敗北」していく姿をうまく描き出していた。そしてこの「敗北」の姿に、学生運動や労働運動、反戦運動といったものが強固な国家・産業権力によって潰されていった過程が象徴されているようにも感じた。

『自衛隊は何をしてきたのか』

前田哲男『自衛隊は何をしてきたのか:わが国軍の40年』(筑摩ライブラリー1990)を読む。
自衛隊というのが現在的にもまた歴史的にも曖昧な位置付けのもとに作られてきた経緯が分かった。よく言われるが右からも左からも批判の対象とされてきたのが自衛隊である。しかし1950年当時の警察予備隊発足の頃はまだ一定憲法のもとに位置付けようとしていた。それは隊員宣誓書の変遷を見ればよく分かる。憲法の「忠実な擁護」という肝心要が抜けてしまっている。しかし現在でも憲法を遵守とうたっている以上、宣誓に対する背信行為をいつまで続けるのだろうか。

1950年警察予備隊宣誓書
私は、我が国の平和と秩序を維持し、公共の福祉の保証に任ずる警察予備隊の職員に任命せられることを光栄とし、次のことを静粛に誓います。

  1. 私は、日本国憲法及び法律を忠実に擁護し、命令を遵守いたします。
  2. 私は、信義を重んじ、誠実を尊び、勇気をもって職務の遂行にあたります。
  3. 私は、上司の職務上の命令には忠実に服従いたします。
  4. 私は、その綱領が私の職務に優先してそれに従うべきことを要求する団体又は組織に加入いたしません。

1954年自衛隊宣誓書
私は、わが国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、 一致団結、厳正な規律を保持し、常に特操を養い、人格を尊重し、心身をきたえ、 技能をみがき、政治的活動に関与せず、強い責任感を持って、専心職務の遂行にあたり、 事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえることを誓います。

『40歳をすぎても記憶力は伸ばせる』

浜松医科大学教授高田明和『40歳をすぎても記憶力は伸ばせる』(講談社+α新書 2001)を読む。
この手の記憶の本というと心理学者が書いたものが多く、学校や塾で教える受験術の焼き直し的なつまらないものが多い。しかし、これは現役の生理学の医者が、脳の構造や血糖値といった点から記憶について述べているので、読み物としても面白かった。