投稿者「heavysnow」のアーカイブ

『パッション』

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メル・ギブソン監督『パッション』(2004 米)を大宮へ観に行った。
イバラの冠をかぶせられ、ゴルゴダの丘で十字架に架けられるイエス・キリストの最後の12時間を映画化したものだが、拷問シーンの連続に辟易した。映画の冒頭から結末までずっと血まみれのキリストの肉体が映し出されており、カトリック教徒ならば手を合わして祈りを画面に向かって祈りを捧げずにはいられないという内容である。場面場面の登場人物の表情や立ち位置など、現存している宗教画を忠実に再現した歴史映画なのだが、ユダヤ教に対する軽侮など多分に宗教的であり、この時期に作成されることを鑑みるに,政治的な映画と言わざるを得ない。

『日本国憲法の精神』

渡辺洋三『日本国憲法の精神』(新日本新書 1993)を読む。
現在でも一部に正式な国会での議決を経たにも関わらず、憲法は押し付けられたものだと主張する政治家が多いが、そのような政治家は、戦後50年近くも憲法を国民のために使わず、腐らせて、挙げ句の果てにはダメだとわめいている怠け者だと渡辺氏は述べる。そして押し付けられたのは自衛隊の方であり、そもそも米国から押し付けられた違憲の自衛隊を「合法」化させるための憲法改正は根本からおかしいと断じる。先日イラクで人質となった高遠さんらに対し、多くのマスコミは「自己責任」と揶揄し、自民党の柏村武昭参院議員は「反政府・反日的分子」と批判したが、憲法の精神に立ち返るならば、違憲な自衛隊をイラクに派兵することの方が「無責任」であることは間違いない。

参考:1947年に当時の文部省が中学1年生のために編集した『あたらしい憲法のはなし』では以下のように述べられている。

 こんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。「放棄」とは、「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、他の国よりもさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
もうひとつは、よその国と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけるということは、けっきょく、じぶんの国をほろぼすようなはめになるからです。また戦争とまでゆかずとも、国の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戦争の放棄というのです。そうしてよその国となかよくして、世界中の国が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の国は、さかえてゆけるのです。
みなさん、あのおそろしい戦争が、二度とおこらないように、また戦争を二度とおこさないようにいたしましょう。

『教育基本法「改正」』

ここ数日、日本国憲法と教育基本法の関係についてまとめている。教基法と憲法はまさに一体のものであり、憲法の精神を活かしていくことは教基法の精神を生かしていくことでもある。憲法の改「正」の動きと、教基法改「正」の動きはセットで捉え、批判を加えていく必要があるだろう。

西原博史『教育基本法「改正」』(岩波ブックレット 2004)を手始めに読む。
昨年の3月に出された「新しい時代にふさわしい教育基本法と教育振興基本計画の在り方について」の改正のポイントである「国を愛する心」「個性に応じた能力の伸長」「新たな公共心」「自己責任」などといったものがいかに「基本的人権」を侵害いているかを滔々と述べる。その主張は父親の西原春雄元総長の教育観の根底から否定とも受け取れる。是非とも早稲田大学の民主化運動の先頭に立ってもらいたいものだ。

教育における中央集権を排除して、一人ひとりの子どもが大切にされ、子どもの思想・良心の自由が学校の中で尊重される学校を作り、そこで子どもが子どもとして、親が親として、教師が教師として、自らの役割に基づいて積極的に参加できる学校づくりの枠組を整え、さらには地方自治の大切な問題として地域で学校をどう支援するかが議論される体制を作り、子どもの分断を回避してみんなの能力を伸ばせるような支援制度を作っていく。一人ひとりの子どもを尊重する教育を実現するという目標を捨て去るために教育基本法を「改正」するのか、それとも、教育基本法をいわばもう一度選びなおすことを通じて、一人ひとりの子どもを尊重する教育という理念を書くんんするのか。今この点が問われています。

憲法については、とりあえず手あかの付いた杉原泰雄著『憲法読本』(岩波ジュニア新書 1981)を参考にもう一度憲法全文を読み返してみたが、読めば読むほど良く出来た法案である。昨年あたりに小泉首相が憲法前文を持ち出して自衛隊の海外派兵を「合法」化させてしまったことがあったが、「ここまで書いてない」「こうとも読み取れる」と解釈改憲を繰り返しながら、憲法の精神を完全に骨抜きにしてしまった。杉原氏は特に憲法第9条などを考える上で、「立憲主義」の意味をふまえて考えることを強く主張する。そして「立憲主義」とは「憲法がはっきりと認めてることがらについて、憲法がはっきりと認めている方法でしか権力者は政治を行うことができないということにあるのです。日本の憲法は、自衛戦争や自衛力をそのどこにおいてもはっきりと認めていないのです」と「書いていない」からといって恣意的な解釈がまかり通る現状を強く批判する。憲法改正を決議した1946年8月の第90帝国議会において幣原国務大臣は次のように述べる。

実際この改正案の第9条は戦争の放棄を宣言し、我が国が全世界中最も徹底的な平和運動の先頭に立って指導的地位を占むることを示すものであります。今日の時勢になお国際関係を律する一つの原則として、ある範囲内の武力制裁を合理化、合法化せむとするがごときは、過去における幾多の失敗を繰り返す所以でありまして、最早我が国の学ぶべきことではありませぬ。文明と戦争とは結局両立し得ないものであります。文明が速やかに戦争を全滅しなければ、戦争が先ず文明を全滅することになるでありましょう。私は斯様な信念を持ってこの憲法改正案の起草の議に与ったのであります。

『犬婿入り』

1993年に芥川賞を受賞した、多和田葉子『犬婿入り』(講談社 1993)を読む。
犬に足を噛まれてから奇行が目立つようになった太郎と塾講師みつことの奇妙な生活を描いたものだが、脈絡もない話が続くだけで全く面白さが感じられなかった。

『コンセント』

田口ランディ『コンセント』(幻冬舎 2000)を読む。
シャーマン的な能力を持った主人公がひきこもりの末に変死した兄の死の謎を解いていく過程で、この世の現実世界とは別の、人間のあらゆる記憶や感情が詰まった別の世界に迷い込んでしまうというありきたりなオカルト的世界が展開される。ちょうど疲れがたまっている時期で、読みながら何度もうたた寝をしてしまい、夢うつつで読んでいたので、変な感じであった。
筒井康隆の「家族八景、七瀬ふたたび、エディプスの恋人」のテレパス少女の「七瀬3部作」のようなタッチである。作中、主人公が「自問自答する人々は自分に都合の悪いほうへと考えを飛躍させる」と述べているが、自分のことを言われているようではっとしてしまった。