『教育基本法「改正」』

ここ数日、日本国憲法と教育基本法の関係についてまとめている。教基法と憲法はまさに一体のものであり、憲法の精神を活かしていくことは教基法の精神を生かしていくことでもある。憲法の改「正」の動きと、教基法改「正」の動きはセットで捉え、批判を加えていく必要があるだろう。

西原博史『教育基本法「改正」』(岩波ブックレット 2004)を手始めに読む。
昨年の3月に出された「新しい時代にふさわしい教育基本法と教育振興基本計画の在り方について」の改正のポイントである「国を愛する心」「個性に応じた能力の伸長」「新たな公共心」「自己責任」などといったものがいかに「基本的人権」を侵害いているかを滔々と述べる。その主張は父親の西原春雄元総長の教育観の根底から否定とも受け取れる。是非とも早稲田大学の民主化運動の先頭に立ってもらいたいものだ。

教育における中央集権を排除して、一人ひとりの子どもが大切にされ、子どもの思想・良心の自由が学校の中で尊重される学校を作り、そこで子どもが子どもとして、親が親として、教師が教師として、自らの役割に基づいて積極的に参加できる学校づくりの枠組を整え、さらには地方自治の大切な問題として地域で学校をどう支援するかが議論される体制を作り、子どもの分断を回避してみんなの能力を伸ばせるような支援制度を作っていく。一人ひとりの子どもを尊重する教育を実現するという目標を捨て去るために教育基本法を「改正」するのか、それとも、教育基本法をいわばもう一度選びなおすことを通じて、一人ひとりの子どもを尊重する教育という理念を書くんんするのか。今この点が問われています。

憲法については、とりあえず手あかの付いた杉原泰雄著『憲法読本』(岩波ジュニア新書 1981)を参考にもう一度憲法全文を読み返してみたが、読めば読むほど良く出来た法案である。昨年あたりに小泉首相が憲法前文を持ち出して自衛隊の海外派兵を「合法」化させてしまったことがあったが、「ここまで書いてない」「こうとも読み取れる」と解釈改憲を繰り返しながら、憲法の精神を完全に骨抜きにしてしまった。杉原氏は特に憲法第9条などを考える上で、「立憲主義」の意味をふまえて考えることを強く主張する。そして「立憲主義」とは「憲法がはっきりと認めてることがらについて、憲法がはっきりと認めている方法でしか権力者は政治を行うことができないということにあるのです。日本の憲法は、自衛戦争や自衛力をそのどこにおいてもはっきりと認めていないのです」と「書いていない」からといって恣意的な解釈がまかり通る現状を強く批判する。憲法改正を決議した1946年8月の第90帝国議会において幣原国務大臣は次のように述べる。

実際この改正案の第9条は戦争の放棄を宣言し、我が国が全世界中最も徹底的な平和運動の先頭に立って指導的地位を占むることを示すものであります。今日の時勢になお国際関係を律する一つの原則として、ある範囲内の武力制裁を合理化、合法化せむとするがごときは、過去における幾多の失敗を繰り返す所以でありまして、最早我が国の学ぶべきことではありませぬ。文明と戦争とは結局両立し得ないものであります。文明が速やかに戦争を全滅しなければ、戦争が先ず文明を全滅することになるでありましょう。私は斯様な信念を持ってこの憲法改正案の起草の議に与ったのであります。

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