最近、中学生の頃に買った南野陽子のシングル曲を集めたベスト版のCDを引っぱり出してクルマの中で聴いている。
高校に入って以来全く聴いていなかった代物だが、意外に歌詞が大人っぽくてメロディラインのきれいな曲が入っているのだ。特に「悲しみモニュメント」や「風のマドリガル」「秋のIndication」など最近のアイドルが歌わないような渋い曲が気に入っている。しかし、30過ぎたおじさんが南野陽子の歌を口ずさんでいる姿はとてもじゃないが、見られたものではない(苦)。。。
投稿者「heavysnow」のアーカイブ
『採用の超プロが教えるできる人できない人』
安田佳生『採用の超プロが教えるできる人できない人』(サンマーク出版 2003)を読む。
採用コンサルティングを手がける著者が、業種を問わず、どの企業にも通用する仕事ができる人間とできない人間を採用段階で見抜くポイントを示す。実際に一番に採用したい人材が仕事が出来る転職組だが、そうした人物はなかなか労働市場に出て来ないので、仕事が出来そうな新卒を採れという指摘が印象深い。
一芸に秀でると言えるようなレベルの人は、(目標を実現するためにその他の全てを犠牲にする)葛藤を乗り越えてきた人たちである。何よりも、「それになりたい」という気持ちを優先させてきた人たちである。多くの代償と引き換えに、またそこまでして自分がそれに打ち込む理由を考えつづけた果てに、「自分は何のためにいきているのか」という人生哲学が見えてきたとしても不思議ではない。
モチベーションとは、人生の目標バーの高さのことであり、他人の力では変えることができない。自分の人生目標を人に高めてもらうことはできないのだ。どのくらい仕事ができるようになりたいか、どのようになりたいかというのは、結局は自分がどう生きたいかということである。
『教育基本法「改正」に抗して』
高橋哲哉・大内裕和・三宅晶子・小森陽一編『教育基本法「改正」に抗して』(岩波ブックレット 2004)を読む。
今国会でも可決が危惧される教育基本法改悪の動きに抗して、2003年12月23日の日比谷公会堂で行われた「教育基本法改悪反対! 全国集会」の模様を再構成したブックレットである。近年各現場で進められる管理的抑圧的な教育改革と、それに呼応した教育基本法改悪、さらに日本国憲法改悪ともリンクする一連の新自由主義的教育再編全般に対して、全国各地からの反対の声が多数まとめられている。
いささか現状の教育の在り方が是であり、改悪される教育に反対するだけの「保守」的な論調も目立つ。目指すべき教育の理念を具現化する実践が求められる。
京都の在日朝鮮人の高校生朴さんの訴えが印象に残る。『たくましい日本人の育成』を目指す教育改革の中で、自分を含めた家族全員の存在が教育から消されてしまったと感じる朴さんは次のように述べる。
私は、やはりおかしいと思ったことには頷けない。たとえ存在を消されても、消えてしまうことなんてできない。そして「日本人」とは誰のことなのか。私は日本人にはなれない。そして誰も幻の日本人にはなれない。『心のノート』は言う、「我が国を愛しましょう」と。でも、私は国家を愛することなんかできない。私服で学校に行くことで、多くの先生達の私への評価を裏切った。たくさんの先生をがっかりさせた。私には朴という名前があるけれど、「在日朝鮮人」という枠に入るのは「日本人」という枠に入るのと同じくらい嫌だ。これからも、いろいろな人の私への評価を、裏切って裏切って、かっこいい大人になりたいと思う。
また、福岡の教育基本法改悪に反対する市民の会の八尋さんは次のように述べる。
押しつけられて苦しんでいるのが、例えば今はまだ私ではなくても、誰かの気持ちが押しつぶされるときにはいっしょに反対すること、一つひとつを見過ごさないこと、そういうことから、いつか自分が困ったときは近くにいるだれかがそばにいて手を差し伸べてくれることもあるのだということを、信じることができるようになるのではないかと思っています。
世の中に対する漠然とした不安を、国家にすりよることでごまかすのではなく、大きなもので押しつぶしてしまうのではなくて、私は私のまわりの人たちを信じるために、失われた信頼感を取り戻すために、声をあげつづけていきたいと思います。
大切なのは大切だと言い続けること、その心を守るためにも、私たちは、国家に心を教育されたり採点されたりすること、管理されることを拒否しなければならないと思っています。
『読ませる二〇〇字文章の書き方』
松岡由綺雄『読ませる二〇〇字文章の書き方:伝えたいことを的確に表現するコツ』(ごま書房 1994)を読む。
400字や800字の文章は比較や考察を通して自分の意見を述べることができる。しかし、200字だと、冗長な言い回しや無個性な常套句を思いっきり省かねばならず、必然的に文章がシンプルになる。著者は200字の文章を練習することで、自分の一番表現したいことを的確に伝える力がつくと述べる。
卒業生へのコメント
『喜望峰』原稿
三年生のみなさん卒業おめでとうございます。今年も三年生の現代文を中心に授業を担当し、生徒のみなさんから多くのことを学びました。特に、特文・英クラスにおいては、『こころ』『舞姫』『「である」ことと「する」こと』など人間心理、日本社会を抉るような作品を時間をかけて扱うことが出来、現代文担当の冥利につきる一年でした。改めてお礼を述べたいと思います。
評価の定まった古典と違い、現代文は、答えのない答えをどのように練り上げ、どう伝えていくのか、生徒も教員も試行錯誤する教科です。私自身もこの一年、評論文や小説に、半ば楽しみながら、半ば格闘しながら向き合ってきました。教壇の上で、答えを作るのに(取り繕うのに?)四苦八苦していたことも何度かありました。
また、秋から冬にかけての推薦入試に向けた小論文では、自分の無教養を歯痒く思いながら、皆さんの意見に自分なりの考えをぶつけていました。
今後の日本の社会・教育を鑑みるに、大学や専門学校での勉強や仕事上のあまたの判断、引いては人生そのものも、これまでと違って手本の見つかりにくいものになるでしょう。答えのない答えを探す作業は卒業後に必要になってくることです。その中で大切なことは夢をあきらめないことと、自分自身の時間を大切にすることです。
高校時代や大学時代といった青春の一ページは過ぎ去ってしまえば短い時間です。これから浪人する者は前途長く感じているでしょうが、来年の春にはあっという間の一年間だったと振り返ることでしょう。
しかし、その刹那で感じ得た、ぼんやりとした将来像、社会のあり方というヴィジョンが長い一生を支えてくれるものだと、私自身今更ながら感じています。多くの本を読み、雑多な友人と出会い、深く自分と社会を見つめ直してみて下さい
「自分とは何か」――一人の人間にとって、一番なじみ深くかつ一番難しい問いを胸に、卒業後の道を力強く歩んでいって下さい。最後に私の尊敬する哲学者戸坂潤氏の言葉を贈ります。
「で問題は、諸君自身の『自分』とは何かということにある。そこが話の分れ目だ。」

