卒業生へのコメント

『喜望峰』原稿

 三年生のみなさん卒業おめでとうございます。今年も三年生の現代文を中心に授業を担当し、生徒のみなさんから多くのことを学びました。特に、特文・英クラスにおいては、『こころ』『舞姫』『「である」ことと「する」こと』など人間心理、日本社会を抉るような作品を時間をかけて扱うことが出来、現代文担当の冥利につきる一年でした。改めてお礼を述べたいと思います。
 評価の定まった古典と違い、現代文は、答えのない答えをどのように練り上げ、どう伝えていくのか、生徒も教員も試行錯誤する教科です。私自身もこの一年、評論文や小説に、半ば楽しみながら、半ば格闘しながら向き合ってきました。教壇の上で、答えを作るのに(取り繕うのに?)四苦八苦していたことも何度かありました。
 また、秋から冬にかけての推薦入試に向けた小論文では、自分の無教養を歯痒く思いながら、皆さんの意見に自分なりの考えをぶつけていました。
 今後の日本の社会・教育を鑑みるに、大学や専門学校での勉強や仕事上のあまたの判断、引いては人生そのものも、これまでと違って手本の見つかりにくいものになるでしょう。答えのない答えを探す作業は卒業後に必要になってくることです。その中で大切なことは夢をあきらめないことと、自分自身の時間を大切にすることです。
高校時代や大学時代といった青春の一ページは過ぎ去ってしまえば短い時間です。これから浪人する者は前途長く感じているでしょうが、来年の春にはあっという間の一年間だったと振り返ることでしょう。
 しかし、その刹那で感じ得た、ぼんやりとした将来像、社会のあり方というヴィジョンが長い一生を支えてくれるものだと、私自身今更ながら感じています。多くの本を読み、雑多な友人と出会い、深く自分と社会を見つめ直してみて下さい
 「自分とは何か」――一人の人間にとって、一番なじみ深くかつ一番難しい問いを胸に、卒業後の道を力強く歩んでいって下さい。最後に私の尊敬する哲学者戸坂潤氏の言葉を贈ります。

「で問題は、諸君自身の『自分』とは何かということにある。そこが話の分れ目だ。」

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