amlより

 國場です。転送歓迎複数のMLへの投稿、重複お許し下さい。昨日私は、渋谷のじれん「渋谷・野宿者の生活と移住権をかちとる自由連合」という、野宿者と支援者で構成されるホームレス問題に取り組む団体の宮下公園での炊き出しの手伝いに行ってきました。実際来ていたホームレスの方々は200人以上を超え、日本がとても大変な状況にあることを感じさせられました。これからの日本はますます失業者が増え、ホームレスの方も増えるかと思います。

 炊き出しが終わり、野営と言って30十名ほどで外で固まって寝ることになり、パトロールを終え、私も一緒に寝ることにしたのですが、毛布を二、三重にもかぶったのにもかかわらず、とても寒くて私はほとんど眠れませんでした。

 イラク、アフガン、スーダン、パレスチナ、チェチェン・・

 そして今回のスマトラ地震、世界中には沢山の避難民がいて、本当に過酷な状況に身を置かれている方が大勢いて本当に心が痛みますが、ここ日本も例外ではなく、なにより身近にそうした方々がいることを忘れないで欲しいと思います。このホームレスの方たちも、そうした戦争、貧困を生み出している資本主義、権力による同じ犠牲者です。
 のじれんの方からの話によると、毎年一番寒い時期になると亡くなられる方が出るそうです。
わたしたちには家があり、ぬくぬくと暖かい布団で寝れますが、こんな寒い冬の東京で、野外で寝ている方が大勢いる事をどうか心にとめていただきたいと思います。

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 のじれんではパトロール(夜回り)や炊き出し、福祉行動といったボランティアを常時募集しています。現在、慢性的に人手が足りないということなので、ぜひ皆さんもいろいろとお忙しいかと思いますが、空いた時間があればぜひご協力をお願い致します。
詳しくはのじれんウェブサイトをごらん下さい。(更新が滞っていますが・・。)

 http://www.jca.apc.org/nojukusha/nojiren/
 のじれん連絡先 TEL&FAX 03-3406-5254
 e-mail:nojiren at jca.apc.org
 どうぞよろしくお願い致します。

『青木雄二のゼニと病気』

青木雄二『青木雄二のゼニと病気』(青春出版社 2003)を読む。
著者自身が肺ガンによって亡くなる直前に書かれた作品になっており、医者や病院、保険会社、厚生労働省を中心とした保守的で身内をかばい合う医療界の旧い体質を独断調でバサバサ斬る。

「このまま終わっていいのか」

あけましておめでとうございます。寒い日が続きますが、皆様のご健康をお祈り申し上げます。

 本日の東京新聞朝刊に元東大全共闘のメンバーで弁護士の秋山洋氏の談話が載っていた。私自身の今年一年の目標はまだ定まっていないが、「このまま終わっていいのか」という秋山氏の言葉を胸に刻んでいきたい。

 僕らの世代はベトナム反戦が共通項だった。ベトナムで毎日、人が死ぬ。もっと平和な時代に生きたい。黙っている自分が嫌だ、というイライラが常にあった。大学紛争が敗北し、次の世代はしらけた。でも、いまのイラクだってベトナムと同じ。お前はどうするんだと考えさせられる。自衛隊派遣はおかしい。昔だったら、大学にバリケードができるんじゃないか。
 ヒッピーのように既成の価値観にしばられない視点が好きだった。うさんくさい自己否定でなく、僕は自己肯定派。学生運動でも異端と見られた。ただ、僕らに一番欠けているのは人生の目標。同世代の中には「このまま終わっていいのか」という声がある。僕もそうかなと。おもしろい時代を生きてきた、得したなと思うからこそ。

今年も終わる

もうそろそろ、今年も終わる。
私にとってはいろいろとあり長い一年であった。

春先に結婚をして生活環境が変わり、また夏にかけて大学入試以来の集中した勉強をする中で、働くことの意味を自分なりに整理することができた一年であった。来年の今ごろは何を考え、何に取り組んでいるのだろうか。まだ働くことの意味と目的を自分なりに総括できていないが、「30代前半が物事を考察するのに一番すぐれた時期だ」という説を信じて精進したい。

『車掌だけが知っているJRの秘密』

 斎藤典雄『車掌だけが知っているJRの秘密』(アストラ 1999)を読む。
 前半は中央線の車掌として検札のつらさや遅刻や事故の際のどたばたが微笑ましく描かれているのだが、後半は国労の組合員として会社からの差別に闘い、東労組のいじめに耐える国労組合員の悲哀に満ちた日常が淡々と述べられる。

 著者には「断固闘う!」といった闘争団の意気は薄く、1047名の闘争団との距離感を正直に吐露している。そして、下記のように著者は国労本部に対する批判を述べる。その中で、著者は乗客の安全と安心を第一としながらも、仲間同士笑いながら、飲みながらやっていける労働者本来の職場を目指す足がかりとして再び国労を選びとっているのだ。

 問題は「闘う」がドグマとなることだ。誤解を恐れずにいえば、いつも活動家だけが固く結束し、お決まりの寝言のような演説をぶち、盛り上がっているだけなのだ。国労の組織は激減し、弱体化したのは事実なのに、活動家は、「一人一人の団結と闘う意識はより強固なものになった」などといい切る。私はそう思わない。不当な差別が長期化し、自分の利益にならないからと脱退していく一般組合員があとをたたないのが現状だ。国労は彼らを責めてはいけない。もうたまらん状態なのだ。もしここで強硬な戦術でも打ち出したりすれば、組織は再び大混乱に陥り、団結は崩れ、脱退者は増える一方だろう。正しい理論が必ずしも統一した実践に結びつかないのが運動の難しさなのだ。