アイマスクウォーク・インスタントシニア

アイマスクウォークを行なっての感想

  • リードしてくれる人に対する信頼感が重要であった。
  • スニーカーを履いてしまうとポツポツのついたタイルは認識が鈍ってしまった。
  • 「あと○○センチ」「もう少し左」といった声掛けでは位置関係が掴みにくい。
  • まず自分の手で触れてみることが、何よりも安心感を生む。
  • コピー機を触ってみたのだが、液晶パネルの操作は何も分からない。スタートボタンの中心部は丸く凹んでいたのですぐに分かった。→手で触れて、触感で判断できると状況の理解が早い。
  • 手すりに触れながら階段を歩いてみたのだが、手すりの曲がり具合で前方の状況をつかむことができた。
  • 何があるか分からない建物の外は少し怖く感じた。建物の中の方が安心できる。
  • 知っている場所や知っている物であれば、手を触れることで、位置や形状を確認でき、自分の記憶と照らし合わせることができる。
  • コピー機のボタンであるか、スタート、ストップ、リセットボタンを色で分けていたが、アイマスクをつけていると識別は不能。数字では?のボタンにポッチがあることで数字の入力は可能。

☆目が見えない者にとっては、手の触感が全てといってもよい。形状を変えたり、凸凹をつけるなどの工夫がほしい。また機械や道具はメーカーが異なっても、基本的な操作を統一していただきたいものだ。

インスタントシニア体験を行なって

  • 視野狭窄によって自分の足元を確認することが出来ず、階段やエレベータの手前で立ち止まってしまった。
  • 白内障を疑似体験したのだが、青色系統の文字や絵が見にくかった。
  • 膝が曲がらないことで、椅子に座ったり立ったりで、バランスを崩しそうになった。特にブレーキのかかりの悪い車椅子で転びそうになった。
  • 肘の曲がり具合が悪いので、ウォシュレットはありがたい。お尻に手を回すのは大変であった。
  • 今回杖はうまく使えなかったが、膝の補助としてうまく使えればよい。

☆車椅子のブレーキや支えは特に高齢者は丁寧に
・階段やエレベータ付近での配慮→高齢者の視点に立つこと(高齢者のことをただ考えることとは違う)

高松宮記念ハンセン病資料館

本日の社事大のスクーリングの一環で、大学の近所にある高松宮記念ハンセン病資料館へ出かけた。ハンセン病とはノルウェーのハンセン医師が発見した「癩菌」という細菌による感染症で、体の末梢神経が麻痺したり、皮膚がただれたような状態になる病気である。現在では感染源になるものはほとんどなく、効果的な治療薬も開発され、既に過去の病気になっている。しかし、日本では戦前から「危険な病気」というレッテルを貼り強制隔離や避妊手術を行い、患者さんの人権を蹂躙してきた。1996年になってようやく「らい予防法」が廃止され、2001年には衆参両院で「ハンセン病問題に関する決議」が採択され、新たな補償や療養所からの退所支援も始まっている。

資料館発行の通信にも「ハンセン病問題で最も反省しなければならない大切な点は、ハンセン病患者である人間を社会に害をなすとの口実で「人間として地域社会の中で共に生きる」ことを排除した点にあります。この点の反省に立って、ハンセン病のみならずすべての障害を持っている人、病んでいる人を地域社会の一人として迎え入れ、共に生きることを目指さなければなりません。日本の社会がこのような「共に生きる社会」になって、初めてハンセン病問題が解決したといえると思います」(ふれあい福祉だより第2号 2005)とある。

しかし、資料館自体が高松宮による募金呼びかけもあって設立されたという経緯もあってか、天皇の温かいいたわりが牢獄のような隔離施設にまで及び、元患者の人権も回復されつつあるという基調の展示が目立った。しかし、ハンセン病患者は、日露戦争後の1907年に天皇を頂点とした日本帝国主義の躍進にとって「邪魔者」を排除するという目的で制定「癩予防法」によって、新たに「天皇の赤子」の下に設けられた「弱者」であった。そうした「弱者」に対して天皇が「御仁慈」を掛けるという構造は、逆に差別意識を強化するイデオロギー装置として機能する。そうした「上」の者が「下」の者に同情を持つという危険なカラクリを見破った上で、「共に生きる社会」を築いていきたい。

『マラソン』

marathon_movie

本日さいたま新都心コクーンへ、チョン・ユンチョル監督『マラソン』(2005 韓国)を観に行った。
自閉症の二十歳の青年がマラソンに参加することで、青年のためにばらばらになっていた家族が再び絆を取り戻すという話である。
青年本人が自分自身の気持ちを表現することができないために、本人をとりまく各人それぞれがそれぞれの主観で青年を捉えてしまう。そのため、「この子はこうだ」「いや、この子はあれだ」と本人のいないところで、それぞれの思いがぶつかってしまう結果になる。青春映画であったが、愛情があればあるほど話がこじれてしまう「障害者」を巡る家族の「悲劇」がうまく描かれていたと思う。

スクーリング授業

いよいよ、今日から日本社会事業大学のスクーリング授業が始まった。たったの1週間であるが、電車で1時間以上もかけて、遅刻せずに通うことができるだろうか。電車に乗り慣れないため、疲れが出てしまうのではないか。
社事大はさすがに厚生労働省が作った大学だけあって、閑静な住宅街の真ん中のこぢんまりとした大学で、いかにも「勉強するぞ!」という雰囲気に満ちたキャンパスであった。運営費の大部分を国が負担するため、学費は国立大学並なので、福祉を考えてる受験生に是非お勧めしたい。

□ 全国の福祉リーダーを養成する 日本社会事業大学|社会福祉学部|社会福祉学研究科 □

『田辺聖子の古事記』

田辺聖子『田辺聖子の古事記』(集英社文庫1991)を読む。
古事記を天皇崇拝のものだとする国粋主義的読み方を否定し、人間の悲哀や男女の恋愛を描いたヒューマンストーリー、ラブストーリーだと割り切って、彼女ならではの解釈を加えた意訳を試みている。改めて古事記を読み返してみて、その人間性のにじみ出た話の展開に意外な感じがした。
確か10年前に大学の授業で受けた時は遅々として授業は進まず、ひたすら眠かったのを覚えている。そして、ふと解説を読むと、私の大学の先輩にあたる萩原規子さんの「教授は、上巻冒頭の神々の系譜を示し、その一柱一柱の神の名前の、おそろしくていねいな読み解きからはじめた。それは延々と続き、1年間で上巻の半分までも進まなかった。退屈でなかったといったらうそになる」との一節が目に入った。まさしく10年前の私をも深い心地よい眠りに誘ったT教授の授業風景が書かれているではないか。すでに退職されたとのことだが、あの子守唄をまた聞きたいものだ。