本日は近所の春日部中央公民館で開かれた「さいかつ(埼葛)九条の会」発足記念講演会「憲法は非常識?! なぜ今、憲法改正なのか?」(講師:三輪隆埼玉大教員)に出掛けた。
大江健三郎や小田実氏の呼びかけによる「九条の会」の主旨に賛同して立ち上げられた市民運動の発足イベントである。三輪氏は「市民と憲法研究者をむすぶ憲法問題Web」を主催している人で、9条を守るという一点で護憲、反戦団体の連携を模索している人物である。議会から護憲勢力が無くなりそうな現状では、市民レベルでの護憲運動の活性化こそが憲法改悪を止める唯一の手立てであり、党派やセクトによる分裂を乗り越えて大同団結しようと主張する。
三輪氏は原水禁運動の分裂を例に挙げながら、あの人は「○○派」「△△党」と一度レッテル張りをされたら、そこで運動における人間関係が崩れてしまう、いかにも日本的な運動の土壌の狭さを指摘していた。非常にノンセクト的な、あるいは環境運動的な側面を有する運動であるが、自民党・民主党などの改憲勢力という大きな壁を打ち破れるのか、そして全共闘運動が越えられなかった「内ゲバの論理」を越えられるのだろうか。
『お母さんの手、だいすき!』
長塚麻衣子『お母さんの手、だいすき!』(中央法規 2001)を読む。
著者の長塚さんは埼玉出身の人で、先月職場の人権教育の講師として来て頂き直接に話を伺う機会があった。長塚さんは生まれつき右手の指が3本欠けている「四肢末端減形成症」という障害を抱えている。実際に右手を見せていただいたのだが、人さし指と中指、薬指は全くなく、唯一残った親指と小指で物が挟める程度である。しかし、手首から上は「正常」で、日常生活にはほとんど支障はない。そのため、ちょっと長い袖の服を着れば、傍目には全く分からなくなってしまうという。『五体不満足』の乙武くんのように「障害者のエリート」という意識は彼女にはさらさらない。彼女曰く「健常者以上、障害者未満」という微妙な立場で、30代前半の者なら誰しも経験したような子どもの頃の遊びや学校生活のエピソードを綴っている。ある意味障害が社会の荒波を乗り越えていくための「武器」にはならない一人の「普通」人としての障害観が素直に描かれていてすんなりと読むことができた。
マルクス君
『新源氏物語(四)』
田辺聖子『新源氏物語(四)』(新潮社 1979)を読む。
巻名で言うと、玉鬘の素性を内大臣に打ち明ける『行幸』から、柏木の女三宮に対する恋心が燃え上がる若菜上までとなっている。光源氏の性懲りもない浮気心が、歳を経るごとに安定へと向かっていく周囲の人間関係をぶち壊してしまう起爆剤となっている。
だらだらテレビ、だらだら新聞
今日は暑かった。(^_^ゞ (^_^ゞ
だらだらと汗を流しながら、一日中だらだらテレビを見、東京新聞をだらだらと読んでいた。
テレビでは朝からずっと郵政民営化法案の参院本会議解決の行方を追っていた。やれ参院で自民党から18人の造反議員が出たら否決だの、衆院解散だの政治ゲームがかまびすしいが、肝心の郵政法案の中身はテレビも新聞も報じない。要は公務員の地位にしがみつきたい郵政公社の職員と、その集票機能に頼る族議員の抵抗なのだろうが、一体何を争点に争っているのだろうか。国民不在の永田町政治と揶揄されても仕方ないであろう。
また、夕方のテレビでスペースシャトル「ディスカバリー」で宇宙へ行った野口聡一さんの活動が紹介されたが、一体彼を含めスペースシャトルは何を目的として打ち上げられたのだろうか。船外の外れかけた耐熱カバーの修理の模様がテレビで中継されていた。まさか機体の修理をするために打ち上げられたのでもなかろう。マスコミには秘密の企業委託の研究でもやっているのだろうが、そのスケジュールは国民的行事と騒がれながらも謎のベールに包まれていた。
今日の夕刊で国連安全保障理事会常任理事国入りを目指す四カ国とアフリカ連合の協議の様子が報道されていたが、一体、日本のみならず、ドイツやインド、アフリカ諸国は常任理事国に入って何がしたいのだろうか。現安全保障理事会の大国中心政治を変えたいのだろうが、アメリカの世界戦略のシナリオ通りに話が進んでいるというカラクリになぜ気付かないのだろうか。



