今日の東京新聞朝刊一面

 今日の東京新聞朝刊一面で、八王子で米兵が男児3人ひき逃げ事故を起こして逮捕されたのだが、米軍の方から「公務証明書」が出され、日米地位協定に基づき即日、米軍に引き渡した、というニュースが報じられていた。記事の中で「普天間基地爆音訴訟」を率いる原告団長の島田善次さんの言葉が歯切れよい。

 本土も沖縄と同じだな。沖縄では同じような事件がこれまで何度も起きているが、地位協定を盾にして、加害者の兵士は何も罪にとがめられるどころか、帰国してしまった者もいる。日米の軍事再編が問われる今、やすやすと加害者の兵士を逃してしまうような政権に対して、国民はもっと怒りの声を上げてほしい。

 日本はこのような治外法権にも近い不平等な地位協定にいつまで縛られなければならないのだろうか。冷戦後の軍事の枠組みという「大文字政治」はよく分からないが、このような日常的な事件を真摯に関心をもって見ることで、問題の本質の一端が顕れ出てくるのである。

 さて石原東京都知事はこの事件で年明けにどのようなコメントを出すのであろうか。民主党前原党首の目には、中国軍と米軍のどちらがより脅威に写るのだろうか。年末の忙しさで事件自体を忘れてしまいそうだが、この問題に対する各界の視座に注目したい。

「論壇時評」

本日の東京新聞夕刊の「論壇時評」というコラムで、宮崎哲弥氏が小泉政治の対抗軸についての展望について言及している。宮崎氏は、小泉型「構造改革」政治、「新しい自民党」路線に対するオルタナーティブ(もう一つ別の政治路線)の一つとして、道場氏の提案するネットワークやコミュニティなどを重視した「下から」の公共性の醸成に可能性を見出している。(以下転載)

例えば、社会運動史家の道場親信氏は「『国家の言うままにならないという記憶』(鶴見俊輔)を分かちもつコミュニティ」の探求あるいは模索のなかから、ネオリベラリズム的「改革」への対抗理念を掴み出す可能性に賭けている(「〈戦後〉そして歴史に向き合うことの意味は何か」『論座』)。

その具体的な戦略とは、例えば政府や地方自治体に対する「『コミュニティ』再建のための費用負担要求、『公民』としての権利要求」であり、道場氏はそうしたムーブメントがやがて「国家を揺さぶる力」になり、「新たな『連帯』の『伝統』を作り出す」ことを期している(「『戦後』と『戦中』の闇」『現代思想』12月号)。

「障害者基本法」

大学のレポートで「障害者基本法」についてまとめた。「基本法」としての性格から、具体的な施策は別に法律や政令で定められ、理念的なことしか述べられていないのだが、その中身はここ40年ほど国連や各界の研究者によって積み上げられてきた社会福祉の思想が受け継がれている。是非一読して障害者福祉の現在の地平を確認されたし。

障害者基本法(1970年)第1条(目的)
この法律は、障害者の自立及び社会参加の支援等のための施策に関し、基本的理念を定め、及び国、地方公共団体等の責務を明らかにするとともに、障害者の自立及び社会参加の支援等のための施策の基本となる事項を定めること等により、障害者の自立及び社会参加の支援等のための施策を総合的かつ計画的に推進し、もつて障害者の福祉を増進することを目的とする。

第3条(基本的理念)
すべて障害者は、個人の尊厳が重んせられ、その尊厳にふさわしい生活を保障される権利を有する。
2 すべて障害者は、社会を構成する一員として社会、経済、文化その他あらゆる分野の活動に参加する機会が与えられる。
3 何人も、障害者に対して、障害を理由として、差別することその他の権利利益を侵害する行為をしてはならない。

「完全参加と平等」をスローガンとする1981年の国際障害者年と、続く83〜92年の「国連・障害者の十年」によって障害をもつ人たちへの差別をなくしていく活動が世界的に進められた。日本では、「心身障害の発生予防」や「保護」を目的とした「心身障害者対策基本法」が改定され、「すべて障害者は、個人の尊厳が重んぜられ、社会を構成する一員として社会・経済・文化その他あらゆる分野の活動に参加する機会」を保障し、「障害者の自立及び社会参加の支援」というノーマルな社会のあり方を指し示した障害者基本法が策定されるに至った。

施策の策定にあたっては、障害者の年齢や実態に応じて、「障害者の自主性が十分に尊重され、地域において自立した日常生活を営む」ことへの配慮を求めている。施設・在宅を問わず、障害のある人の生命、生活、生涯にわたるQOLの質の向上のため、医療・福祉の分野に止まらず、教育や雇用・就業、所得保障、生活環境の改善、専門職の養成に至るまで、多岐にわたる施策が体系化されている。

また、国民全員が障害者についての正しい理解を持ち、「社会連帯の理念」に基づき協力し、さらに、障害を理由とした差別や権利利益を侵害する行為を禁止することを定めている。

こうした障害者の福祉や障害の予防を総合的かつ計画的に推進するため、政府・都道府県・市町村に「障害者基本計画」を策定する義務を課している。これを踏まえて2002年に閣議決定された基本計画では、ノーマライゼーション及びリハビリテーションの理念に則り、国民誰もが相互に人格と個性を尊重し支えあう「共生社会」の考えが打ち出されている。また、基本計画における重点的な施策と達成目標を定めた「新障害者プラン」も同時に決定され、基本法の理念が具体的な数値目標として具現化されている。

基本法では更に、教育における障害のある児童・生徒と障害のない児童・生徒の交流及び共同学習を積極的に進めることにより、その相互理解を促進する旨が2004年の改定で追加された。障害のある児童生徒との交流の機会やボランティア活動を通じて、豊かな人間性や社会性を培うことを明記した1998年告示の学習指導要領の指針を、改めて行政側に突きつけている。また、同じく、障害者の地域における作業活動の場及び障害者の職業訓練のための施設の拡充を図るため、費用の助成や必要な施策を講じる旨が追加された。

これら教育や施設の監督にあたる都道府県や市町村に対しては、基本計画の策定が努力義務から義務へと改定された。2007年の策定実施に向け、各市町村で様々な取り組みが模索され、実質的な効果があがることが期待される。

"Mr.&Mrs.Smith"

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川口に新しくできた映画館へ、ブラッド・ピット、アンジェリーナ・ジョリー主演の『Mr.&Mrs.Smith』(2005 米)を観に行った。
かっこいい俳優と、きれいない女優の共演によるアクション・ラブロマンスであり、久々にハリウッド映画らしい映画であった。弾丸が乱れ飛ぶ銃撃戦や、周囲もろとも吹っ飛ぶ大爆発にも関わらず、ぎりぎりの所で九死に一生を得る主人公の活躍に、ついつい素直にエールを送ってしまう。

主演のブラッド・ピットがカッコいいと思って観ていたが、後でネットで調べたら41歳のオジサンであった。私も数年後あのようなシュッとした中年になってみたいものだ。。。

まずは腰回りの贅肉から減らさなくては(^_^;)

『赤ちゃん誕生の科学』

正高信男『赤ちゃん誕生の科学』(PHP新書 1997)を読む。
妊娠から出産までの赤ちゃんの誕生にまつわる謎を、医学の見地からではなく、文化人類学や比較行動学の点から明らかにしていこうとする一風変わった本である。これまでの医学では正面切って取り上げられなかった胎教の当否やつわりの仕組み、お産の体位などを、新生児の記憶のメカニズムや男性のつわり、グアテマラのお産といった研究から分析を加えている。

また、ダウン症児発見の出生前診断については、話を大きく広げて予測医療そのものについて警鐘を鳴らしている。生まれつき目が見えない人は人一倍聴覚や肌の感覚が発達して自由に空間を移動することが出来る。また、先天的な聴覚障害の比率が異常に高かったマサチューセッツ州沖のマーサズ・ヴィンヤードという孤島では、島民全員が英語と手話の二言語を併用する文化を形成していたという。

現代人は視覚や聴覚などの限られた感覚システムだけに依拠して情報の獲得を行なう方向へどんどん傾斜を強めてきており、やがては、遺伝子の操作などによって出生前に判明した「障害」は「未然に」防止するといった特定の思想が、人間の誕生前から影響を及ぼすようになってしまう。

このような障害や疾病を完全な理性を持った人間と対立するものと捉える近代主義に陥った現代社会について、著者は次のように述べる。

解決策を見出すためにはとりあえず、われわれの身体がどれほどの可塑性に富むものなのかを、まず認識することが必要なのではないだろうか。そして今日では唯一、個性的な身体とのつき合いができているのが、実に障害者と呼ばれる人々なのである。健常者が身体を画一的に用いて、浅薄に生活しているのに対して、障害者の方が個々人の背負っている障害の質が、各々個性的な分、健常者では埋もれてしまっている可能性を、個性的に活用して生きているように思えてならないのだ。障害者が健常者よりも劣っているなど、とんでもない誤った考え方といえるだろう。障害を持つ人に生き方を学ぶ、障害者学というものが何より求められている。