西東出版部編『最新情報で選ぶ赤ちゃんの名前』(西東社 2000)を手に取ってみた。
ワープロの変換ミスとしか思えないような珍奇な名前ばっかりでほとんど参考にならなかった。
「加夢意(かむい)」「天都王(てつお)」「陽乃出(ひので)」「星礼沙(せれさ)」(゚o゚;) (゚o゚;) (゚o゚;)
謹賀新年
公私共々大きな節目を迎える一年になりそうです。健康第一に乗り切っていきたいと考えています。紅白が終わって一息ついて、近所の春日部八幡神社に出掛けた。10円のお賽銭で、妻の安産と交通安全をたっぷりと祈願してきた。
本日の東京新聞一面に、靖国神社の支援母体である崇敬奉賛会が「日本が好きになる歌」として募った曲が昨年11月末にコンサートで披露された、との記事が掲載されていた。記事では二十代三人組のバンド「AreiRaise」の「矜持」という曲が紹介されていた。
「あの原子爆弾 2個もってして 焼き尽くせなかったもんですぜダンナ あんな惨禍超えてきたんだやっぱ日本てスゲー(中略)逆襲の日本さあ来るぞ まずは心に核武装」といった歌詞の曲が500人の聴衆を前に披露されたとのことだ。元旦から嫌なニュースである。このような扇情的な極右勢力を追いつめていけるだけの理論武装が求められる。
『OUT』
年末の最後の夜、年越しのカウントダウンが始まる1分前に、桐野夏生『OUT』(講談社 1997)を読み終えた。
登場人物の心の動きが丁寧に描かれており、サスペンスとも純文学とも言える中身の濃い作品であった。幼子を抱えた主婦が、家庭を顧みない夫をもののはずみで絞め殺す場面から物語は始まる。そして、事件を隠ぺいしようと画策する主婦のパート仲間と、事件を契機に一儲けしようとする男達の心の闇が話の展開とともに浮かび上がってくる。2002年に映画化されたそうだが、せっかくの読後感をぶち壊したくないので見ないことにしよう。
『なぜ男はギャンブルに走り、女は占いにハマるのか』
和田秀樹『なぜ男はギャンブルに走り、女は占いにハマるのか』(青春出版社 2001)を読む。
インパクトのある表題についての内容は全体のごく一部で、ストレスが引きがねとなった買い物や結婚、引きこもりなどの日常生活における行為を取り上げ、分かりやすく解説を加えている。
この中で、本題とは少々逸れるが、教育に対する著者の意見は興味深かった。これまでの学校現場では、テストの点数や偏差値の向上でもって単純に生徒を誉めることができた。生徒の方も、ちょっと机に向かって勉強して成績の数字が上がれば、教師からも親からも評価されるというカラクリが分かっていて、勉強ができる子どももできない子どももそれなりに他者からの評価を得ることができた。しかし、現在は勉強だけでなく、勉強に向かう態度や他者との協調性という数値でははかり切れない主観的なモノサシで子どもを図ろうとする。現行の学習指導要領にも明記されている。だが、そうなると「人柄」という周囲の目線そのものが評価につながり、生徒にとって大変なプレッシャーとなってしまう。そして、客観的な基準がないから、いつまでも自分を肯定できず、健全な自己愛が育たないと著者は述べる。
最後の項において、著者は人間を大きく、「自分」主体で物事を判断する「メランコ(うつ病型)人間」と、「他人」主体で行動を決定する「シゾフレ(分裂病型)人間」に分ける。そして、現在の日本人は、付和雷同型の「シゾフレ人間」が増加しており、個性重視の合唱の中で、他人と同じ行動を取りたいと考える傾向が特に若者の間で増えていると指摘する。しかし、「他人が私をどう見ているのか」「他人はどれを良いと言うの か」と他人の価値に依存していくと、物事を善悪のどちらかでしか判断できない二元的思考(「ボーダーライン的心理」)しかできなくなり、そのことで、簡単に仮想的を作って内部でまとまろうとしてしまう危険な集団心理に染まりやすくなってしまう、と著者は警句を発する。
『言語聴覚士・視能訓練士・義肢装具士になるには』
小松富美子『言語聴覚士・視能訓練士・義肢装具士になるには』(ペリカン社 2003)を読む。
特にST(言語聴覚士)の仕事内容について知りたいと思い読んだのだが、実際の仕事の奥深さにびっくりした次第である。想定内の、脳卒中で言葉を失った中高年に対する言葉の訓練だけでなく、嚥下の訓練や食道発声法まで含めた咽喉全体に関する分野まで指導するのである。マニュアルのない、なかなかの根気が求められる仕事である。
