五木寛之『みみずくの夜メール』(朝日新聞社 2003)を読む。
朝日新聞の月曜朝刊に1年半にわたって連載されたコラムを集めた本である。言い間違いや健康について、はたまた、子どもの頃や旅行のふとした思い出など、日常生活の中で思い浮かぶそこはかとないよしなしごとがざっくばらんにまとめられている。
『アフリカのこころ』
土屋哲『アフリカのこころ:奴隷・植民地・アパルトヘイト』(岩波ジュニア新書 1989)を読む。
ルワンダに関する映画を観たので、アフリカの歴史を復習したいと思い手に取ってみた。大航海時代以降、アフリカがヨーロッパによって恣意的に分割され、収奪されてきた歴史が分かりやすく書かれている。著者は最後に日本人がアフリカの未来を考える枠組みとして次の言葉でまとめている。差別が蔓延るする社会全般を見渡す視点としても記憶するに値する文章である。
ところで、世間には先進国とか発展途上国とか後進国といった国際的な用語がある。そして日本は先進国の仲間に入っている。私たちがいま心すべきは、アフリカをふくめてアジアその他の第三世界のひとびとと接するとき、先進国という位置からうしろ向きにアフリカ見るようなことは絶対に避けなければならない。そういう姿勢では、アフリカの人々の信頼をかちとることはできないし、折角の援助も実を結ばないであろう。アフリカがいま立っている位置に私たちの身を置いて、前向きに未来に向けてともに歩むという心構えが大切なのだ。この点アフリカの人びとは、奴隷制と植民地支配という二重苦にとことん苦しんできただけに、人の心の機微を見通す力は実にすごい。私たちがアフリカの人びととつきあう場合、〈アフリカのこころ〉と固く結ばれていなくてはならないのである。
小泉チルドレン
今日の東京新聞朝刊に、「小泉チルドレン」の一人である稲田朋美自民党衆院議員のインタビューが載っていた。今の時代にこんなごりごりな右翼議員がいたのかと開いた口が塞がらなかった。渡辺昇一を崇拝し、明治維新の成功は天皇親政にあると考え、日本が守るべき伝統や文化や道徳教育の在り方などを研究する「伝統と創造の会」を創設したという。まさに女版西村真吾のような華々しい経歴の持ち主である。
彼女は特に靖国問題に関心があるようで、小泉総理の参拝に対し「一国民として感謝しています」と述べた上で、「ポケットからのさい銭チャリーン、の参拝はいかがなものかな。昇殿しきちんと参拝してほしかった」と述べる。さらに、「実は国民の道徳心の低下は靖国問題に集約されている。どんな歴史観も自由だし侵略戦争の批判もあっていい。でも、国を守るために突撃した先人に感謝や敬意を表すことができない、(それを)教えられないのは道徳の退廃につながると思う」と述べ、教育基本法の改「正」を主張する。
彼女自身の危険性もさることながら、そんな彼女を衆院議員として信任してしまう今の国民の風潮が怖い。
『ホテル・ルワンダ』
ドン・チードル主演『ホテル・ルワンダ』(2004 南ア・英・伊)を有楽町へ観に行った。
映画館はビックカメラの入っているビルの中にあり、開演までデジカメやパソコンをひやかしながら時間を潰した。久しぶりの遠出で気分も和らいだ。
アフリカの小国ルワンダにおける大量虐殺を通して、欧米の白人による黒人蔑視や自国中心主義、また際限ない近親憎悪が繰り返される部族抗争の現実を描く。しかし、家族愛というヒューマンドラマをメインに押し出しており、紛争の原因である植民地支配の歴史や紛争を煽る武器産業の背景などはほとんど語られない。作品の作り方そのものが『シンドラーのリスト』に酷似しており、作品としてはあまり楽しめなかった。
『幼稚園では遅過ぎる』
井深大『幼稚園では遅過ぎる』(ごま書房 1991)を読む。
幼児教育に取り組み始めた井深氏の最初の著作で、1971年に刊行され、そのタイトルが彼の名言になっているほど有名な本である。刊行当時の「寝る子は育つ」式の放任教育を否定し、乳幼児に対しての積極的な話しかけや音楽、また、手を使った遊びや運動などを提唱する。そして幼児教育の第一義的な責任は母親にあると主張する。

