『ゴキブリの歌』

五木寛之『ゴキブリの歌』(新潮文庫)を十年振りに読み返す。
最近半身浴に凝っていて、お風呂につかりながら読書をしている。ぼーっとしながら活字を追っているので、簡単なエッセーばかり読んでいる。その中で『ゴキブリ〜』の中の次の一節が気になった。

黒人たちだけが集まる下町のナイト・クラブに飛び込んだある白人の話である。彼は人種差別に反対で、黒人の立場に共鳴する進歩的な男だった。その彼が、黒人たちの酒場へ顔を出すと、そこで演奏されている音楽が、どれもこれもハリウッド映画調の甘ったるいポピュラー・ソングばかりなのだ。そこでかれは憤然として隣の黒人の客に言った。
「君たち黒人には、ブルースという偉大な音楽があるではないか。君たちの苦しみ、君たちの悲しみ、君たちの希望と怒りを表現した黒人のブルースをなぜ演奏しないのだ。あんなくだらない白人の音楽はやめたまえ」
するとそれに答えて、隣の黒人の客は言った。
「おれたちは毎日苦しいことやいやなことを忘れたくてこの店に遊びに来てるんだぜ。なんでわざわざ金を払って忘れたいことを思い出さなきゃならんのだ」
いわゆる流行歌とか、そんなふうなものなのだろう。怨を艶に転じて歌う微妙な事情は、その辺の大衆の願望にもとづくものではないかと私は思う。

確か前に書いたと思うが、体制によって差別・抑圧されている側が、体制を支援する文化をありがたく享受するという問題だ。山谷や西成にワルシャワ労働歌とインターがこだましているわけではない。野宿労働者「ホームレス」の多くが長嶋ファンであり、巨人軍ファンである。私は学生時代に精神病院で働いていたが、その時患者さんの口から出る話は美智子さんや雅子さんの結婚の話であった。ソルトレークパラリンピックが昨日開幕したが、日の丸を握りしめて日本選手団は元気よく入場行進していた。

これ以上話がまとまらないが、とにかくパラリンピックに出場している選手の参加出来るという喜びに満ちた笑顔は素敵であった。オリンピックに出場した日本の選手があまり浮かない表情を浮かべていたのに比べて対照的だった。パラリンピックにこそ本来のオリンピックの精神が継承されている。順位にこだわることなく、純粋なスポーツとしてテレビで楽しみたいと思う。

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