本日の午後、さいたま桜高等学園で開かれた公開講座に出かけた。
京都府立朱雀高等学校で特別支援教育に関わっている島貫学氏の「高等学校における発達障害の支援~特別でない特別支援教育~」と題した講演を聞いた。
島貫氏は京都市内の普通科高校に勤務され、教務部という立場から「気になる生徒」のフォローを担当している。特別支援教育というと生徒指導部もしくは保健部の一部の教員が担当するものと相場が決まっているが、島貫氏は、普通科高校では学習のつまづきや欠課が嵩み、単位認定に大きく絡んでくるので、教務を中心に情報の共有化を計ることを提案している。また、入試を経て入学してきているので、「障害」の診断を前提に話を進めていくのではなく、あくまで普通科の教育スタイルの中で可能な個別の対応、誰でもが分かりやすい授業、公平な教員の接し方などが大切だと島貫氏は述べていた。
それに比べ、文科省や埼玉県の押しつけ的な「特別支援教育」や「個別の指導計画、支援計画」「校内委員会制度」は、教員の負担感が大きく、拙速な施策であることは否めないであろう。
また、特に発達障害は障害だけを見るのではなく、発達の「凸凹」と捉え、落ち込んでいる面だけを見るのではなく、秀でている面を同時に見る必要があると島貫氏は述べていた。
よく議論になる障害の「ガイ」の字の表記について、島貫氏は、表意文字である以上漢字をひらがなに直すだけでは解決にならないと述べる。そして「行く手をさえぎるような石を見つける」という意味の「碍」の字や、「石の前でためらい、足をとめる」という意味の「礙」の字を当ててみてはと提案している。