巖谷大四『本のひとこと』(福武書店 1983)を読む。
文芸評論家で読書好きを自認する著者が、読んだ本の一節を紹介しながら、時流に物申すエッセーとなっている。印象に残った一節を孫引きしておきたい。
イエスは、姦通の現場から引き立てられてきた女を取り巻く群衆に、汝らのうち罪なき者まず石を擲て、と言うでしょ。聖書のなかの群衆はイエスの言葉に恥じて、一人去り二人去りしていって、最後にはイエスと女だけが残った、 とありますね。でも、日本でだったら、われ先にと石を擲つでしょうね。自分はなんの罪もおかしてはいない、と大部分の人が思っていますもの。罪などというものとはまったく無縁で、 いつも正義感に充ちています。
一 大原富枝「地上を旅する者」
巖谷氏は、匿名で正義面して批判する輩を揶揄しているが、40年後の現在も全く変わらない。
「他人によって傷つけられるものは、自分のエゴイズムだけだ」。この言葉に深く心を動かされてから、もう三十年以上の歳月が経った。今でもこの言葉は 私の胸の奥深くにあって、何かの時に思い返される言葉である。私自身にとっては、この言葉の真実を今も疑えない。私は自分が他人によって傷つけられたと思うとき、その傷つけられたものが、結局自分のエゴイズムに過ぎないことを、苦い思いをもって絶えず反省する。
一 谷川徹三 「わが人生観」
この一節は私も深く印象に残った。最後に中野重治の文章も紹介されていた。
せっぱつまった状態は中身がつまっている。中身のつまっていないせっぱつまった状態なんてものはどこにもない。そして中身がつまっているということ、せっぱつまっているということは、その仕事に当人が身を打ち込んでいること、全身で歩いていることにほかならない。僕の考えている素僕というのはそういう態度をさしている。
ー中野重治「素樸ということ」