『ごく普通の在日韓国人』

姜信子『ごく普通の在日韓国人』(朝日文庫 1990)を読む。
単行本は今から30年以上前,1987年に刊行されている。著者は祖父母が日本に渡ってきた在日3世である。日本に生まれ,日本の学校教育で育ち,日本の企業に就職している。外国人登録証こそ持っているものの,祖父母の出身地である遠い韓国よりも,生まれ育った日本を母国と感じる在日3世の微妙な立ち位置を自分の言葉で語っている。著者は高校まで親や学校側の「配慮」により「竹田存子」という通称名で通っている。著者は本名を名乗れないことに違和感をずっと感じていた。一方,本名の朝鮮語読みである「カン・シンジャ」という名前にも慣れないと本音を語る。日本語読みである「キョウ・ノブコ」こそが自分にぴったりであると言う。在日朝鮮人とは違って,アイデンティティを朝鮮半島に求めづらい在日韓国人という存在を語ることは難しい。著者は次のように語る。

(韓国の生活習慣や韓国語に慣れない)そんな自分を,韓国人でも日本人でもない「日本語人」だと,軽い気持ちで言ってみる事がある。これは,三歳にもなる娘が日本人と言うところを間違えて「ナッチャンは日本語人よ」と言った言葉をいただいたものだ。どんなに意味を抜こうとしても,変に意味が込められてしまう「在日韓国人」よりも,「日本語人」というほうが,身も心も軽くなるような気がするのだ。

そして,最後に著者は次の言葉で締めくくる。

 あなたは差別する心を持つ弱い人間。そのことをまっすぐに見つめてほしい。どうすれば差別する心に振り回されずにいられるのか,それを考えてほしい。