山本四郎『原敬:政党政治のあけぼの』(清水書院 1971)を読む。
「平民宰相」という言葉の印象が強く、「庶民派」のイメージがつき纏う政治家である。第一次護憲運動のスローガンであった「閥族打破・憲政擁護」の路線を貫き、藩閥政治に戻るような動きは徹底して潰してきた骨のある政治家である。
しかし、原は首相になる前に西園寺公望や山県有朋といった元老との関係を蜜にし、桂園時代の支えてきた政治屋的な側面もある。「維新いらい、わが先輩の尽力でなにごとも政府は一歩進んで改良をなしてきた。人民より迫られてはじめて処置をとるようでは、国家のために憂うべきである」と当時勢いを増してきた普選運動や社会主義運動には冷水を浴びせる。また、「将来民主主義の勃興は心に恐るべきである。自分も官僚も同様に心配するところであるが、官僚はこの潮流を遮断しようとし、自分は激盛にせずに疎通して大害をおこさぬようにする。そこに差がある」とも述べている。
30代、40代の頃は政治体制そのものを変えることに熱意を燃やしてきたが、首相となった60代になると闘志こそ維持しているが、政友会の政策である4大政綱を通すことに腐心することになる。やはり人生にはタイミングがあり、40代の頃に首相になり、長期政権を見据えることができれば、評価は全く変わっていたのではないだろうか。