『お引越し』勝手にファンクラブ(建設中)
このページは1993年公開の映画『お引越し』(相米慎二監督)について語るページです。
私が今まで見た映画の中で一番思い出深い作品である『お引っ越し』について文学的考察を加えていく予定です。
はじめに
私が初めて『お引っ越し』を見たのは94年の3月でした。場所は池袋にあった文芸座という映画館でした。当時、『はるかノスタルジー』というこれまたマイナーな映画との二本立てでした。当初は私はこの『はるか~』を見るのが目的でした。この『はるか~』は大林宣彦監督の作品で、音楽に久石譲という作曲家の「MyLostCity」という私のお気に入りの曲が使われていたので、半ばそれを聴きに出かけたのでした。また『はるか~』の原作は山中恒という反戦の児童文学者だったということもありました。
しかし、私が見終わった後、印象に残ったのは断然『お引っ越し』の方でした。映画館で見た際にはあまり感動はなかったのですが、映画館を出て日常の生活に戻ってから一週間くらい経ってからじわじわと感動が込み上げてきました。この時味わった感動はこれまでの映画・文学からは得られなかった特別な感動でした。当時大学入試が終わり入学式までのほがらかな気分の時に見たせいもあるかもしれない。しかしそれから数ヶ月『お引っ越し』のラストシーンでの主人公の真摯な姿と琵琶湖祭りでの炎と深夜の山の緑が、その後私の脳裏にフラッシュバックして私を捕らえて離さないことが続いた。
その感動の大きさは、ちょうど高校一年生の時に深夜のフジテレビで見た「コヤニスカッチェ」という映像叙情詩とも評される映画を見た後の感動と比肩するものであった。私は高校時代、映画関係の仕事につきたいと思って、学校サボって映画専門学校の文化祭に出かけては映画を見ていた。といっても当時は映画館に通うお金もなかったので、ひたすらテレビの深夜のB級映画を録画しては食い入るように見ていた。ちょうどその時に「コヤニスカッチェ」と出会い、私はその映画にインスパイヤーされる形でビデオ作品を作った……。しかしこれが自分で自分が嫌になるくらい失敗に終わり、以後私の心にトラウマとして残ることになった。このことは私の高校時代の親しい友人にも話しておらず、私の心の奥底に今でも封印してある。当時16歳だった私の心に深く突き刺さり、今でも私の性格・人間観・社会観に大きなくさびを残している。私のものの考え方の根幹に自分でも意識しない歪みがあることを私は友人からの指摘や雑誌などの性格判断などで知ることが出来る。
閑話休題、『お引っ越し』と出会った後、私は早くビデオ化されることを待ち望んだ。足繁くビデオレンタル屋に通い、「一言コーナー」などにしつこく「入荷したら即連絡ください」と要求を出し続けた。主役の田畑智子の凛とした目つきが時折私の脳裏を支配した。確か、94年の7月頃にやっとのことでビデオ化され、私は早速1泊2日の料金にもかかわらすレンタルし、幸せいっぱいで家のビデオデッキに向かった。ビデオ化されたそのパッケージには毎日映画賞受賞作品「ありがとうと言いたくなる映画」との文句が謳われていた。不思議なことに見終わって私の心象風景の中に同じ感動がまたやって来た。ちょうどスピルバーグの『未知との遭遇』のように「期待が予想通りに実現した」ような感謝の気持ちを覚えた。
以後私は幾度も『お引っ越し』を借りた。しかしその度に、新しい発見と同じ感動を味わうことになった。この感動の底にあるものを私は確かめたいのだ。それは単に作品理解という文学的限界を超えて、真に自分理解の一助となるものだ。『お引っ越し』という作品はまた私の人生の転換点に位置した作品であった。するならば『お引っ越し』を見て感動する現在の私の心の基底に潜む歪みはまた、16歳以降の私の人生の根底に流れているデラシネ的な視座の解題となるであろう。
とりあえずお暇な方いましたら、ちょっと大きいレンタルビデオ屋に行けば作品がありますので、ぜひ語りましょう。掲示板等用意する予定です。