『隗より始めよ』

本日、内橋克人『隗より始めよ:日本企業生存条件』(光文社 1993)を読んだ。
今年中に90年代の思想・文学・経済・政治について振り返ってみたいという思いからであったが、あまりにつまらない。内橋氏は最近NHKの番組の解説などやっている。しかし番組でもそうであるが、何かしら「現実感のない具体的提言」というものが彼の持ち味なのであろうか。新自由主義に共鳴する左派の言説といった雰囲気だ。しかし時代は「規制緩和とセーフティネット」が合言葉の「グローバル社会」である。内橋氏の議論に違和感を感じる私の方が古いのであろうか。

最近「IT革命」「IT産業」といった用語がさも定着したかのようにマスコミは報道する。しかし、それらはバブル後の不景気の谷の議論と似ている。振り返ってみればバブル後の景気後退の谷は99年の4月ということになっているが、IT何やらも誰が広めたというものではなく、気付いてみたら定着していたといった風だ。
95年以降特に、政治・経済・社会のあらゆる問題の展開のスピードが上がり、気付いたら転換点が過ぎていたということが多くなった。少年法・教育問題、安保、危機管理、選挙制度、NPO、介護保険とどれも気付いたら議論のピークを過ぎてしまっている。これは新聞をあまり読まなくなった私個人の問題か。それとも連立政権ゆえの政治の密室化が原因か。それともネット社会に遅れをとっているマスコミ側の問題か。
今年一年、じっくりと90年代、ひいては80年代の中曽根以降の臨調・臨教審路線の軌跡を検証していく必要があろう。

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